2009年10月03日
東京落選
つい先ほど東京落選のニュースが飛び込んできた。
実は一番最初に落ちると思っていたが、一番最初に落ちたのは予想外のシカゴ。
オバマ大統領も駆けつけることで、一段と注目を浴びたが最初の落選。
さらに東京の落選で、だいぶIOCの方向性が分かった気がする。
ロス五輪以降、商業的な五輪が強く前面に押し出されていたが、アメリカ、日本と続けて落選したことでこの方向性がだいぶ変わったことが読み取れる。
マドリードとリオデジャネイロのどちらかを選ぶことで、さらにIOCが考える「意図」がさらに明確になるかもしれない。
東京のことを考えると、北京五輪から8年後にアジア開催があるとはかなり考えづらかったはず。
その中でシカゴよりも票を獲得したことは、訴求する方向性としては間違っていなかったのかなという気はする。
コンパクト、エコロジーのコンセプトのほかに、今回の投票で見えてきたIOCの「意図」を読み取れば次回はかなり招致に近づくのではないだろうか。
ただそれが2020年とは限らないと思うので、手を挙げる時期はじっくり検討したほうがいいとは思いますが。
あ、それと石原都知事の演説がチャップリンっぽく聞こえたのは僕だけでしょうか・・・。
------
浦和戦に関しては明日には。遅いってか。
実は一番最初に落ちると思っていたが、一番最初に落ちたのは予想外のシカゴ。
オバマ大統領も駆けつけることで、一段と注目を浴びたが最初の落選。
さらに東京の落選で、だいぶIOCの方向性が分かった気がする。
ロス五輪以降、商業的な五輪が強く前面に押し出されていたが、アメリカ、日本と続けて落選したことでこの方向性がだいぶ変わったことが読み取れる。
マドリードとリオデジャネイロのどちらかを選ぶことで、さらにIOCが考える「意図」がさらに明確になるかもしれない。
東京のことを考えると、北京五輪から8年後にアジア開催があるとはかなり考えづらかったはず。
その中でシカゴよりも票を獲得したことは、訴求する方向性としては間違っていなかったのかなという気はする。
コンパクト、エコロジーのコンセプトのほかに、今回の投票で見えてきたIOCの「意図」を読み取れば次回はかなり招致に近づくのではないだろうか。
ただそれが2020年とは限らないと思うので、手を挙げる時期はじっくり検討したほうがいいとは思いますが。
あ、それと石原都知事の演説がチャップリンっぽく聞こえたのは僕だけでしょうか・・・。
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浦和戦に関しては明日には。遅いってか。
2009年03月24日
先駆者
山田いずみが引退した。
ノルディックスキーの女子ジャンプの先駆者である。
まだ女子の選手がいないころ、男の子に混じって飛び続けた。
出る大会がないこともあるなか、一人飛び続けた。
ちょうど世代が近いこともあり、またジャンプを好きでよく見ていたこともあり、彼女の特集を何度も見た。
初めて大倉山で飛んだときの特集は印象に残っている。
しばらく彼女は一人だった。
ようやく女子の選手が出てきた女子の部ができ始めたのは近年の話。
男兄弟がジャンパーである渡瀬あゆみや金井理恵子が出てきてようやく競争相手ができた。
それまでは本当に一人だった。
そして世界選手権で初の女子の大会に出場。
これが区切りであったのは本人も認めるところ。
24年間の長い競技生活が終わった。
どうしても彼女のことを書きたかった。その功績と努力を称えて。
ちなみに最終戦の結果は優勝。
先駆者でもあり、24年間第一人者であり続けた。
本当にお疲れさまでした。
→山田いずみブログ「いっちはできる子」
ノルディックスキーの女子ジャンプの先駆者である。
まだ女子の選手がいないころ、男の子に混じって飛び続けた。
出る大会がないこともあるなか、一人飛び続けた。
ちょうど世代が近いこともあり、またジャンプを好きでよく見ていたこともあり、彼女の特集を何度も見た。
初めて大倉山で飛んだときの特集は印象に残っている。
しばらく彼女は一人だった。
ようやく女子の選手が出てきた女子の部ができ始めたのは近年の話。
男兄弟がジャンパーである渡瀬あゆみや金井理恵子が出てきてようやく競争相手ができた。
それまでは本当に一人だった。
そして世界選手権で初の女子の大会に出場。
これが区切りであったのは本人も認めるところ。
24年間の長い競技生活が終わった。
どうしても彼女のことを書きたかった。その功績と努力を称えて。
ちなみに最終戦の結果は優勝。
先駆者でもあり、24年間第一人者であり続けた。
本当にお疲れさまでした。
→山田いずみブログ「いっちはできる子」
2009年02月13日
ルールの本質とは?
公私とも忙しいのに、どうしてもスルーし難い話題が次々とやってくる。時間ないなかまとまるのだろうか。
で、「15秒ルール」である。
そもそも何でこんなルールができたのか。そこを考えないと、水掛け論で終わってしまう気がする。
このルールを作ったのは時間短縮が理由のようである。そこはいい。おおいに賛成である。
地球環境を考えてナイターの時間も短縮したい、という試みが昨年から行われた。大義もある。
さらに時間短縮でTV放送への対応もできるかもしれない。観客の帰宅時間が早まるなどメリットが多い。
ただ、なぜそこまで「15秒ルール」の厳守を機構側が固執するのかがわからない。
時間短縮の方策は何も無走者時の投球だけではないはず。イニング間の交代、投手交代時などいろいろある。だいたい投手が時間かけるのは走者が溜まった時が多いはず。その中で無走者時だけ設定すのもなんか変な感じだ。あまり時間をかけすぎる必然性のないシチュエーションだが。
むしろそれを導入したことで、本来の野球の面白さがスポイルされるほうが問題な気がする。
これだけの現場の投手や監督が、異を唱え、「野球の面白さがそがれる」と言っているルールを実施するかどうかはかなり疑問。オープン戦の段階で兆候が出ているのだから、「決まったことだから」と突っぱねるのではなく、秒数の変更も含めて再検討すればいいと思うのだがどうだろうか。
こういうところで「ルールだから」と教条的になってしまうのは、日本らしいというか何というか。
なんども書くが根本の目的は「時間短縮」のはず。いつの間にか時間短縮という目的が「15秒ルール」を遵守させるという目的に変わってしまっているように感じるのは僕だけだろうか。
しかも投げてもいないのにボールが宣告される。それで与四球が増えてランナーがたくさん出たら、余計時間かかりはしないだろうか。う〜〜ん。
たとえば、昨シーズンの平均試合時間を出して、それが達成されなかったら、1分ごとにいくらという罰金を各チームに課すとかそういう方策はないのだろうか。12球団すべてに課すところがポイント。そこで課された資金はリーグの資金として翌年度のスピードアップに使うとか、環境政策関連事業に寄付するとか考えればいろいろと出てきそう。
少なくとも、ボールを宣告するというような「試合」に直接影響を与えるような種類の目的をもったルールではないというのが最終的な僕の感想である。
スポーツルール学というのを提唱している人がいる。中村敏雄という人だ。
ある本で世にあった奇妙なルールを紹介したり、どのようにルールができたかを、社会学として研究している。
そんなに簡潔にまとめられる話でもないし、長くなるので詳しくは書かないが、まずスポーツにおける「ルール」とは何か、というところから考えてみる。新しいルールを制定する側は、それくらいの心構えがあってもいいのではないかと思う。
意識的に変化させようとして行ったラグビーの試験的ルールは、ボールを大きく動かしたいという意図が明白で、さらに試験といってわざわざW杯イヤーの翌年に実施している。こういう変化ならまだわかる。
しかし「15秒ルール」に関しては、別の目的で作られたルールが、野球本来のルールに影響を及ぼすという逆のルートをたどっているように見える。
やはりゲームの性質が変わってしまうかもしれないルールを、十分な検証もないまま導入するのは反対と言わざるを得ない。
本当に時間短縮だけが目的なら、時間短縮という意識を各選手に高めさせるために「15秒」という努力目標を設定するくらいが無難ではないかと思う。
この件に関してはペナントレース開幕までに十分検討してもらいたい。
ちなみに中村敏雄の「オフサイドはなぜ反則か」は、サッカー関係者は必読の一冊である。
で、「15秒ルール」である。
そもそも何でこんなルールができたのか。そこを考えないと、水掛け論で終わってしまう気がする。
このルールを作ったのは時間短縮が理由のようである。そこはいい。おおいに賛成である。
地球環境を考えてナイターの時間も短縮したい、という試みが昨年から行われた。大義もある。
さらに時間短縮でTV放送への対応もできるかもしれない。観客の帰宅時間が早まるなどメリットが多い。
ただ、なぜそこまで「15秒ルール」の厳守を機構側が固執するのかがわからない。
時間短縮の方策は何も無走者時の投球だけではないはず。イニング間の交代、投手交代時などいろいろある。だいたい投手が時間かけるのは走者が溜まった時が多いはず。その中で無走者時だけ設定すのもなんか変な感じだ。あまり時間をかけすぎる必然性のないシチュエーションだが。
むしろそれを導入したことで、本来の野球の面白さがスポイルされるほうが問題な気がする。
これだけの現場の投手や監督が、異を唱え、「野球の面白さがそがれる」と言っているルールを実施するかどうかはかなり疑問。オープン戦の段階で兆候が出ているのだから、「決まったことだから」と突っぱねるのではなく、秒数の変更も含めて再検討すればいいと思うのだがどうだろうか。
こういうところで「ルールだから」と教条的になってしまうのは、日本らしいというか何というか。
なんども書くが根本の目的は「時間短縮」のはず。いつの間にか時間短縮という目的が「15秒ルール」を遵守させるという目的に変わってしまっているように感じるのは僕だけだろうか。
しかも投げてもいないのにボールが宣告される。それで与四球が増えてランナーがたくさん出たら、余計時間かかりはしないだろうか。う〜〜ん。
たとえば、昨シーズンの平均試合時間を出して、それが達成されなかったら、1分ごとにいくらという罰金を各チームに課すとかそういう方策はないのだろうか。12球団すべてに課すところがポイント。そこで課された資金はリーグの資金として翌年度のスピードアップに使うとか、環境政策関連事業に寄付するとか考えればいろいろと出てきそう。
少なくとも、ボールを宣告するというような「試合」に直接影響を与えるような種類の目的をもったルールではないというのが最終的な僕の感想である。
スポーツルール学というのを提唱している人がいる。中村敏雄という人だ。
ある本で世にあった奇妙なルールを紹介したり、どのようにルールができたかを、社会学として研究している。
そんなに簡潔にまとめられる話でもないし、長くなるので詳しくは書かないが、まずスポーツにおける「ルール」とは何か、というところから考えてみる。新しいルールを制定する側は、それくらいの心構えがあってもいいのではないかと思う。
意識的に変化させようとして行ったラグビーの試験的ルールは、ボールを大きく動かしたいという意図が明白で、さらに試験といってわざわざW杯イヤーの翌年に実施している。こういう変化ならまだわかる。
しかし「15秒ルール」に関しては、別の目的で作られたルールが、野球本来のルールに影響を及ぼすという逆のルートをたどっているように見える。
やはりゲームの性質が変わってしまうかもしれないルールを、十分な検証もないまま導入するのは反対と言わざるを得ない。
本当に時間短縮だけが目的なら、時間短縮という意識を各選手に高めさせるために「15秒」という努力目標を設定するくらいが無難ではないかと思う。
この件に関してはペナントレース開幕までに十分検討してもらいたい。
ちなみに中村敏雄の「オフサイドはなぜ反則か」は、サッカー関係者は必読の一冊である。
![]() | オフサイドはなぜ反則か (平凡社ライブラリー) (2001/11) 中村 敏雄 商品詳細を見る |
![]() | メンバーチェンジの思想―ルールはなぜ変わるか (平凡社ライブラリー) (1994/10) 中村 敏雄 商品詳細を見る |
![]() | スポーツルールの社会学 (朝日選書) (1991/04) 中村 敏雄 商品詳細を見る |
2008年11月18日
失点率
PLAY BACKは一時お休みです。
アジアシリーズで再び「失点率」という言葉を耳にすると思わなかった。
2勝1敗で3チームが並んだアジアシリーズは、失点率で1位の西武と2位の統一が決勝戦に進んだ。
どのスポーツにおいてもリーグ戦において勝ち点や勝敗が並んだ場合の順位決定方法は様々である。殊に野球の「失点率」かなり特殊である。
WBC、五輪、アジアシリーズで採用されているこの制度は、コールドや延長が頻繁に起こる野球の性質から、単純に数字の増減だけでは判断できない要素が多々あるため、「率」を使っているみたいである。
これもコールドゲームだとイニング数が少なくて圧勝なのに失点率が高い、みたいなケースや、サヨナラ勝ちだけどそのまま攻撃して大量点を取れば相手との失点率が下がる、みたいなケースも考えられるので決して万能ではない。
しかし好ゲームと呼ばれる試合がロースコアに多い野球では、なかなか競技の本質を捉えた制度と考えられなくもない。
少なくとも野球の面白みをスポイルするものではない気がしている。
ちなみに失点率でも差がつかない場合は自責点、打率、出塁率、長打率の順番らしい。
なんどもあらゆるところで書いているのだが、サッカーにおける得失点差という制度は、個人的にはあまり好きではない。
同じ3点差でも「3-0」と「6-3」では、ほとんどの場合「3-0」のサッカーのほうが勝利チームがいい試合をしたと言えると思う。
しかし順位をつける上では「6-3」のほうが上にきてしまう。なんかいつも納得がいかない。
基本的にフットボールは、オフサイドという反則があることが示すとおり、もともとあまり点が入らない(というより入らないようにしている)スポーツである。
点が入らないスポーツであるからこそ、点を入れることを評価しているのかもしれない。
ラグビーでも4トライ以上を取ると、通常の勝ち点以外にも勝ち点がもらえる。
しかしながら経験上、点が入りすぎるフットボールは大味で面白みがない。
そう考えると、得失点という順位決定方法は、フットボールの魅力を若干奪っている気がする。
ここは欧州カップのように当該チーム同士の成績で…
と思っていたのだが、面白いものみつけました。
http://www.soccerdays.com/reading/football_columns/2004/0227.html
「ゴールアベレージ」という考え方は、得点もそうだが、失点も重みを持つ算出方法になっている。
「3-1」や「4-2」のケースでは、「3-1」のほうが優れているということになる。
1失点あたりのゴール数を出しているので「3-1」のほうは『3点』。「4-2」のほうは『2点』となる。
算出は難しいかもしれないが、得失点差よりははるかにいいイメージになりそうなきがしている。
ただ短期のリーグ戦には向かないですね。たぶん。
いずれにしても、順位決定方法はその競技にあわせ、かつその競技の本質を邪魔しないような順位決定方法をぜひ考えてほしい。
そういえば特殊なレギュレーションでやる地域リーグ決勝大会はもうすぐだ。
あらためてそんなことを考えていた。
アジアシリーズで再び「失点率」という言葉を耳にすると思わなかった。
2勝1敗で3チームが並んだアジアシリーズは、失点率で1位の西武と2位の統一が決勝戦に進んだ。
どのスポーツにおいてもリーグ戦において勝ち点や勝敗が並んだ場合の順位決定方法は様々である。殊に野球の「失点率」かなり特殊である。
WBC、五輪、アジアシリーズで採用されているこの制度は、コールドや延長が頻繁に起こる野球の性質から、単純に数字の増減だけでは判断できない要素が多々あるため、「率」を使っているみたいである。
これもコールドゲームだとイニング数が少なくて圧勝なのに失点率が高い、みたいなケースや、サヨナラ勝ちだけどそのまま攻撃して大量点を取れば相手との失点率が下がる、みたいなケースも考えられるので決して万能ではない。
しかし好ゲームと呼ばれる試合がロースコアに多い野球では、なかなか競技の本質を捉えた制度と考えられなくもない。
少なくとも野球の面白みをスポイルするものではない気がしている。
ちなみに失点率でも差がつかない場合は自責点、打率、出塁率、長打率の順番らしい。
なんどもあらゆるところで書いているのだが、サッカーにおける得失点差という制度は、個人的にはあまり好きではない。
同じ3点差でも「3-0」と「6-3」では、ほとんどの場合「3-0」のサッカーのほうが勝利チームがいい試合をしたと言えると思う。
しかし順位をつける上では「6-3」のほうが上にきてしまう。なんかいつも納得がいかない。
基本的にフットボールは、オフサイドという反則があることが示すとおり、もともとあまり点が入らない(というより入らないようにしている)スポーツである。
点が入らないスポーツであるからこそ、点を入れることを評価しているのかもしれない。
ラグビーでも4トライ以上を取ると、通常の勝ち点以外にも勝ち点がもらえる。
しかしながら経験上、点が入りすぎるフットボールは大味で面白みがない。
そう考えると、得失点という順位決定方法は、フットボールの魅力を若干奪っている気がする。
ここは欧州カップのように当該チーム同士の成績で…
と思っていたのだが、面白いものみつけました。
http://www.soccerdays.com/reading/football_columns/2004/0227.html
「ゴールアベレージ」という考え方は、得点もそうだが、失点も重みを持つ算出方法になっている。
「3-1」や「4-2」のケースでは、「3-1」のほうが優れているということになる。
1失点あたりのゴール数を出しているので「3-1」のほうは『3点』。「4-2」のほうは『2点』となる。
算出は難しいかもしれないが、得失点差よりははるかにいいイメージになりそうなきがしている。
ただ短期のリーグ戦には向かないですね。たぶん。
いずれにしても、順位決定方法はその競技にあわせ、かつその競技の本質を邪魔しないような順位決定方法をぜひ考えてほしい。
そういえば特殊なレギュレーションでやる地域リーグ決勝大会はもうすぐだ。
あらためてそんなことを考えていた。
2008年11月10日
JAまつりと日本シリーズ
JAまつりでイベントブースを設置した松本山雅FCですが、いままでのイベントブースには盛り上りでした。
場所がよかったのもありますが、10月以降のメディアの取り上げられる回数が多かったので、だいぶ知名度があがっているようでした。
思えば天皇杯の湘南戦から翌週の全社。
パルセイロが優勝したとはいえ、勝負懸けだった山雅中心の紙面構成のメディアが多かったですからね。さすがに準決勝以降は同格だった気がしますが。
これで出場権を逃して天皇杯。シーズンが終わったと思いきや突然の地域決勝行き。
火・木・土発行のタウン情報にいたっては、火曜日にシーズン終了の記事を書いて、翌々日には出場の急転記事。あわただしい。
結局メディアに出た回数は数え切れない。シーズン優勝以来、特別なニュースがなかった長野とはえらい違いです。
紆余曲折なシーズンだったが、その振れ幅の分だけ注目度と期待度が上がっている感じ。
やはりこの灯を消さないためには一気にJFLに行きたいですね。
西口のここ一番の勝負弱さはなんなんだろう。
プロの先輩でありながら、松坂に対抗意識を出さないその性格に注文をつけた評論家がいたが、今日の投球を見ると、そうした精神的な面に原因があるように思えてしまう。
しかしこのヨレヨレな西口から2点しか奪えなかったことが、巨人の敗因だったのだろう。
緊張感漂う日本シリーズで勝負を決めたのは乗っている平尾。
やはりシリーズ男がいるチームのほうが強い。
今年のシリーズはなかなか面白かった。
渡辺監督おめでとうございます。
場所がよかったのもありますが、10月以降のメディアの取り上げられる回数が多かったので、だいぶ知名度があがっているようでした。
思えば天皇杯の湘南戦から翌週の全社。
パルセイロが優勝したとはいえ、勝負懸けだった山雅中心の紙面構成のメディアが多かったですからね。さすがに準決勝以降は同格だった気がしますが。
これで出場権を逃して天皇杯。シーズンが終わったと思いきや突然の地域決勝行き。
火・木・土発行のタウン情報にいたっては、火曜日にシーズン終了の記事を書いて、翌々日には出場の急転記事。あわただしい。
結局メディアに出た回数は数え切れない。シーズン優勝以来、特別なニュースがなかった長野とはえらい違いです。
紆余曲折なシーズンだったが、その振れ幅の分だけ注目度と期待度が上がっている感じ。
やはりこの灯を消さないためには一気にJFLに行きたいですね。
西口のここ一番の勝負弱さはなんなんだろう。
プロの先輩でありながら、松坂に対抗意識を出さないその性格に注文をつけた評論家がいたが、今日の投球を見ると、そうした精神的な面に原因があるように思えてしまう。
しかしこのヨレヨレな西口から2点しか奪えなかったことが、巨人の敗因だったのだろう。
緊張感漂う日本シリーズで勝負を決めたのは乗っている平尾。
やはりシリーズ男がいるチームのほうが強い。
今年のシリーズはなかなか面白かった。
渡辺監督おめでとうございます。
2006年10月25日
言葉
接戦になっているので盛り上がる日本シリーズ。
勝利監督インタビューに立ったヒルマン監督は丁寧に英語で答えている。
しかしヒアリングに関しては通訳を通している気配がない。
頭脳明晰でならす名指揮官である。4年目ともなればヒアリングだけでなく、日常会話はおそらく問題なく出来るものと推測できる。
それでも丁寧に英語で答える。
タフィ・ローズ(近鉄−巨人)がニュースステーションに出ているときに言っていたことである。日常会話を日本語で問題なくこなす(しかも関西弁で)ローズに、久米宏は日本語で話しましょうよとしつこく迫る。そのときのローズの回答はこうである。
「野球はビジネスなので。」
ビジネスなので正確にニュアンスを表現できる英語で話すのである。ネイティブでない言語を使って、問題おこっては困る。だから英語で語る。そしてこちらもビジネスにしている通訳に自分の言葉を託す。
言葉というものを重要視していると垣間みえるシーンである。
細かいことに思われるかもしれないが、単語でさえもあなどってはいけないのである。
「日本人は"ファスト・ボール"という言葉を"直球"と誤訳したっていうじゃないですか」(Number 662号)
日本のアマ野球がムービング・ファストボールに苦しむ様子を、一人の選手が言葉の問題として語っているのは興味深い。
サッカーの世界でもある。
「ボランチ」という言葉を「守備的」なMFに使いがちだが、この守備的とあわせることで、本来「ボランチ」にもとめられるMFとしての総合的要素が見えにくくなっているという指摘はよくある。
そうそう、加茂周は「ディープ・ミッドフィルダー」という言葉を好んで使っていたらしい。こうした言葉から、彼の目指すサッカーがわかった可能性はある。守備固めで崩れたあの日韓戦をみて言葉一つで指揮官の志向を読み取れた可能性もあると思うと、やはり言葉というものの大事さは痛感する。
勝利監督インタビューに立ったヒルマン監督は丁寧に英語で答えている。
しかしヒアリングに関しては通訳を通している気配がない。
頭脳明晰でならす名指揮官である。4年目ともなればヒアリングだけでなく、日常会話はおそらく問題なく出来るものと推測できる。
それでも丁寧に英語で答える。
タフィ・ローズ(近鉄−巨人)がニュースステーションに出ているときに言っていたことである。日常会話を日本語で問題なくこなす(しかも関西弁で)ローズに、久米宏は日本語で話しましょうよとしつこく迫る。そのときのローズの回答はこうである。
「野球はビジネスなので。」
ビジネスなので正確にニュアンスを表現できる英語で話すのである。ネイティブでない言語を使って、問題おこっては困る。だから英語で語る。そしてこちらもビジネスにしている通訳に自分の言葉を託す。
言葉というものを重要視していると垣間みえるシーンである。
細かいことに思われるかもしれないが、単語でさえもあなどってはいけないのである。
「日本人は"ファスト・ボール"という言葉を"直球"と誤訳したっていうじゃないですか」(Number 662号)
日本のアマ野球がムービング・ファストボールに苦しむ様子を、一人の選手が言葉の問題として語っているのは興味深い。
サッカーの世界でもある。
「ボランチ」という言葉を「守備的」なMFに使いがちだが、この守備的とあわせることで、本来「ボランチ」にもとめられるMFとしての総合的要素が見えにくくなっているという指摘はよくある。
そうそう、加茂周は「ディープ・ミッドフィルダー」という言葉を好んで使っていたらしい。こうした言葉から、彼の目指すサッカーがわかった可能性はある。守備固めで崩れたあの日韓戦をみて言葉一つで指揮官の志向を読み取れた可能性もあると思うと、やはり言葉というものの大事さは痛感する。
2006年01月16日
ナショナルカラー
五輪の時期になると入場行進のユニフォームの話題が出てくるたびに思うこと。
そういえばシドニーの時は、あるデザイナーさんに依頼し、カラフルなユニフォームが作られたのだが、非難の嵐だったと記憶している。
ユニフォームの批判などが大会のたびに起こるのだが、デザインなどの前に、あきらかな原因があると思っているのだが、それを指摘する人は少ない。
「日本には、応援の一体感をつくるナショナルカラーがない」
わかりやすいので、2つのフットボールの国の代表のユニフォームを例にとる。
ラグビーの旧5カ国対抗のイギリス4協会、フランス、イタリアのラグビーのユニフォームとサッカーのユニフォームを比べると一目瞭然。
同じ色なのである。
イングランド=白、ウェールズ=赤、スコットランド=濃紺(黒に近い)、アイルランド=緑、フランス=青。
ウェールズはレッドドラゴンとも呼ばれた。
アルゼンチンも同様に、水色と白の縞模様。
基本的に国旗の色を採用しているので、たとえそれが違う競技であろうが変わらないのである。
さて日本。
国旗について賛否両論があるとおり、国旗をそのままユニフォームとして採用するということをしない。おそらくこれが原因で統一されたユニフォームではなくなっているのだと思う。
しかしながらサッカーが青で、ラグビーが赤と白の横縞(桜のジャージ)、バレーは黒という風に色が違っていてはなかなか応援にも熱が入らないのではないだろうか。
五輪などは複数の競技が存在するので、同じ色で統一すれば競技が違えど、サポートを演出できると思う。色というファクターで、他の競技を応援し知ってもらうというのこともスポーツ界にとってはメリットが多いことだとも思うのだが…。
決して国旗の色ではなくてもいいと思う。
その例をひとつあげておく。
ニュージーランドのラグビー、オールブラックスは、ライバルのオーストラリアのワラビーズを迎え撃つため、その恐れられている『黒』を前面に押し出すため、来場予定者に向けて、黒の衣服を着用するよう徹底した。
会場を埋め尽くした黒は、相手チームへの圧迫感を与え、ホームゲームの優位性を増長させ、この試合に快勝した。
また五輪の時期になると思うのだ。開会式の入場の衣装のデザインを論議する前に、まず自分の国の選手を高揚させる、また応援する人たちを熱くさせる、そんなナショナルカラーの確立のほうが重要なのではないかと…。
そういえばシドニーの時は、あるデザイナーさんに依頼し、カラフルなユニフォームが作られたのだが、非難の嵐だったと記憶している。
ユニフォームの批判などが大会のたびに起こるのだが、デザインなどの前に、あきらかな原因があると思っているのだが、それを指摘する人は少ない。
「日本には、応援の一体感をつくるナショナルカラーがない」
わかりやすいので、2つのフットボールの国の代表のユニフォームを例にとる。
ラグビーの旧5カ国対抗のイギリス4協会、フランス、イタリアのラグビーのユニフォームとサッカーのユニフォームを比べると一目瞭然。
同じ色なのである。
イングランド=白、ウェールズ=赤、スコットランド=濃紺(黒に近い)、アイルランド=緑、フランス=青。
ウェールズはレッドドラゴンとも呼ばれた。
アルゼンチンも同様に、水色と白の縞模様。
基本的に国旗の色を採用しているので、たとえそれが違う競技であろうが変わらないのである。
さて日本。
国旗について賛否両論があるとおり、国旗をそのままユニフォームとして採用するということをしない。おそらくこれが原因で統一されたユニフォームではなくなっているのだと思う。
しかしながらサッカーが青で、ラグビーが赤と白の横縞(桜のジャージ)、バレーは黒という風に色が違っていてはなかなか応援にも熱が入らないのではないだろうか。
五輪などは複数の競技が存在するので、同じ色で統一すれば競技が違えど、サポートを演出できると思う。色というファクターで、他の競技を応援し知ってもらうというのこともスポーツ界にとってはメリットが多いことだとも思うのだが…。
決して国旗の色ではなくてもいいと思う。
その例をひとつあげておく。
ニュージーランドのラグビー、オールブラックスは、ライバルのオーストラリアのワラビーズを迎え撃つため、その恐れられている『黒』を前面に押し出すため、来場予定者に向けて、黒の衣服を着用するよう徹底した。
会場を埋め尽くした黒は、相手チームへの圧迫感を与え、ホームゲームの優位性を増長させ、この試合に快勝した。
また五輪の時期になると思うのだ。開会式の入場の衣装のデザインを論議する前に、まず自分の国の選手を高揚させる、また応援する人たちを熱くさせる、そんなナショナルカラーの確立のほうが重要なのではないかと…。
2004年10月30日
感動を。
「スポーツって感動だよね。それを守れなくて、なにが先進国だ。」
ビデオに録ってあるわけではないので、正確な表現までは自信がない。しかし発言の大意はあっているはずである。
『Zone』(TBS系)で放送された高橋健次の発言である。
高橋健次。享年53歳。元日光アイスバックスとちぎ社長。
アイスホッケー日本リーグの名門、古河電工の廃部後、クラブチーム化に貢献した人物である。地域密着のクラブを目指し、野球・サッカーよりも注目度の低いアイスホッケー日本リーグでのクラブ化を実現に大きく貢献した。オリンピック中継を見ながら、不況により企業スポーツが衰退し、スポーツをする、見る機会が減ることに対する危惧をあらわしたのが冒頭の発言だった。
プレーをするのは選手である。そしてそれを見て感動をするのは観客であり、視聴者である。感動を大切にするために必要な視点は、ファンに対するものである。アイスバックスはクラブ化以来、ファンサービスに対する意識の向上につとめている。
プロ野球の再編に対するファンの予想以上の抵抗は、感動をする場が奪われることに対する抵抗であったのかもしれない。経営者には本社の広告効果などの経済的な観点しかもちあわせていないように見える。観客がいて、選手がいて、経営者がいる。この3者がいて、はじめて、スポーツの持つ感動性が生まれるのである。
日本ハムが北海道に移転し、パ・リーグにプレーオフが導入された。消化試合を少なくするため、新しいファン開拓のため、チームの独自性を打ち出すため、新たに今年から生まれたものは観客、ファンに向けられたものであった。大衆は敏感だった。横浜対巨人戦に1万8000人しか訪れなかったその日、プレーオフ進出をめざした日本ハムの札幌ドームの試合には4万2000人がつめかけた。
勢いにのる日本ハムは格上と見られてた西武から第2戦を奪い、第2ステージを賭けた今日の試合も、最終回に同点に追いつく劇的な試合を演じた。西武のサヨナラホームランの出たあとでも、力を出し切った選手からは健闘をたたえあう姿があり、死闘を尽くした試合につめかけた観衆も大歓声の一戦だった。
長きにわたり、日本のスポーツではプロ野球を除き、観客というものを軽視する傾向があった。スタジアムをみれば一目瞭然である。観客を意識したJリーグ構想以降のスタジアムとそれ以前のスタジアムでは、スタンドからの見易さなどを比べても大きな違いがある。プレーさえできればいい、という考えが根底にはあった。こうした国のスポーツに感動は多く生まれない。
イチローがついに年間最多安打を達成した。
以前から観客へのサービスに対しては気を配っていたMLBではあったが、94年のストライキ以後、その意識はより強くなっている。イチローの年間安打には、試合数の違いなど記録として評価が分かれる視点もあることはあった。しかしファンに最高のプレーを見せ、感動を与えてくれる選手に対して、リーグは、ファンは素直に敬意を表してくれる。スペクテイター・スポーツとしての価値を高めるMLBにあって、時代が違くとも、記録に迫り挑戦する姿は評価に値するものだったのであろう。
そして遠く日本まで感動を与えるイチローは、言葉では言い尽くせない偉大な選手である。
スポーツという分野は、産業的にまだまだ発展の余地があると見られている。いままで競技者中心の世界から、Jリーグ誕生以後、スペクテイター・スポーツの可能性が高まり、また健康などの面から生涯スポーツとしての面からも、伸びしろのあると注目されている。
反対に、過去それだけ、観客・大衆に向けられたサービスが少なかったという表れでもある。文化としてスポーツを発展させるため、より多くの感動をスポーツを通じてあたえるために、観客を意識した改革はよりいっそう重要性を増すであろう。
プロ野球パ・リーグのプレーオフ進出争い、プレーオフ。MLBにサッカー。
続けざまに起きている出来事にあわせて気持ちを書いてみた。熱い気持ちはずっと持っていたい。
ビデオに録ってあるわけではないので、正確な表現までは自信がない。しかし発言の大意はあっているはずである。
『Zone』(TBS系)で放送された高橋健次の発言である。
高橋健次。享年53歳。元日光アイスバックスとちぎ社長。
アイスホッケー日本リーグの名門、古河電工の廃部後、クラブチーム化に貢献した人物である。地域密着のクラブを目指し、野球・サッカーよりも注目度の低いアイスホッケー日本リーグでのクラブ化を実現に大きく貢献した。オリンピック中継を見ながら、不況により企業スポーツが衰退し、スポーツをする、見る機会が減ることに対する危惧をあらわしたのが冒頭の発言だった。
プレーをするのは選手である。そしてそれを見て感動をするのは観客であり、視聴者である。感動を大切にするために必要な視点は、ファンに対するものである。アイスバックスはクラブ化以来、ファンサービスに対する意識の向上につとめている。
プロ野球の再編に対するファンの予想以上の抵抗は、感動をする場が奪われることに対する抵抗であったのかもしれない。経営者には本社の広告効果などの経済的な観点しかもちあわせていないように見える。観客がいて、選手がいて、経営者がいる。この3者がいて、はじめて、スポーツの持つ感動性が生まれるのである。
日本ハムが北海道に移転し、パ・リーグにプレーオフが導入された。消化試合を少なくするため、新しいファン開拓のため、チームの独自性を打ち出すため、新たに今年から生まれたものは観客、ファンに向けられたものであった。大衆は敏感だった。横浜対巨人戦に1万8000人しか訪れなかったその日、プレーオフ進出をめざした日本ハムの札幌ドームの試合には4万2000人がつめかけた。
勢いにのる日本ハムは格上と見られてた西武から第2戦を奪い、第2ステージを賭けた今日の試合も、最終回に同点に追いつく劇的な試合を演じた。西武のサヨナラホームランの出たあとでも、力を出し切った選手からは健闘をたたえあう姿があり、死闘を尽くした試合につめかけた観衆も大歓声の一戦だった。
長きにわたり、日本のスポーツではプロ野球を除き、観客というものを軽視する傾向があった。スタジアムをみれば一目瞭然である。観客を意識したJリーグ構想以降のスタジアムとそれ以前のスタジアムでは、スタンドからの見易さなどを比べても大きな違いがある。プレーさえできればいい、という考えが根底にはあった。こうした国のスポーツに感動は多く生まれない。
イチローがついに年間最多安打を達成した。
以前から観客へのサービスに対しては気を配っていたMLBではあったが、94年のストライキ以後、その意識はより強くなっている。イチローの年間安打には、試合数の違いなど記録として評価が分かれる視点もあることはあった。しかしファンに最高のプレーを見せ、感動を与えてくれる選手に対して、リーグは、ファンは素直に敬意を表してくれる。スペクテイター・スポーツとしての価値を高めるMLBにあって、時代が違くとも、記録に迫り挑戦する姿は評価に値するものだったのであろう。
そして遠く日本まで感動を与えるイチローは、言葉では言い尽くせない偉大な選手である。
スポーツという分野は、産業的にまだまだ発展の余地があると見られている。いままで競技者中心の世界から、Jリーグ誕生以後、スペクテイター・スポーツの可能性が高まり、また健康などの面から生涯スポーツとしての面からも、伸びしろのあると注目されている。
反対に、過去それだけ、観客・大衆に向けられたサービスが少なかったという表れでもある。文化としてスポーツを発展させるため、より多くの感動をスポーツを通じてあたえるために、観客を意識した改革はよりいっそう重要性を増すであろう。
プロ野球パ・リーグのプレーオフ進出争い、プレーオフ。MLBにサッカー。
続けざまに起きている出来事にあわせて気持ちを書いてみた。熱い気持ちはずっと持っていたい。