2009年02月13日
ルールの本質とは?
公私とも忙しいのに、どうしてもスルーし難い話題が次々とやってくる。時間ないなかまとまるのだろうか。
で、「15秒ルール」である。
そもそも何でこんなルールができたのか。そこを考えないと、水掛け論で終わってしまう気がする。
このルールを作ったのは時間短縮が理由のようである。そこはいい。おおいに賛成である。
地球環境を考えてナイターの時間も短縮したい、という試みが昨年から行われた。大義もある。
さらに時間短縮でTV放送への対応もできるかもしれない。観客の帰宅時間が早まるなどメリットが多い。
ただ、なぜそこまで「15秒ルール」の厳守を機構側が固執するのかがわからない。
時間短縮の方策は何も無走者時の投球だけではないはず。イニング間の交代、投手交代時などいろいろある。だいたい投手が時間かけるのは走者が溜まった時が多いはず。その中で無走者時だけ設定すのもなんか変な感じだ。あまり時間をかけすぎる必然性のないシチュエーションだが。
むしろそれを導入したことで、本来の野球の面白さがスポイルされるほうが問題な気がする。
これだけの現場の投手や監督が、異を唱え、「野球の面白さがそがれる」と言っているルールを実施するかどうかはかなり疑問。オープン戦の段階で兆候が出ているのだから、「決まったことだから」と突っぱねるのではなく、秒数の変更も含めて再検討すればいいと思うのだがどうだろうか。
こういうところで「ルールだから」と教条的になってしまうのは、日本らしいというか何というか。
なんども書くが根本の目的は「時間短縮」のはず。いつの間にか時間短縮という目的が「15秒ルール」を遵守させるという目的に変わってしまっているように感じるのは僕だけだろうか。
しかも投げてもいないのにボールが宣告される。それで与四球が増えてランナーがたくさん出たら、余計時間かかりはしないだろうか。う〜〜ん。
たとえば、昨シーズンの平均試合時間を出して、それが達成されなかったら、1分ごとにいくらという罰金を各チームに課すとかそういう方策はないのだろうか。12球団すべてに課すところがポイント。そこで課された資金はリーグの資金として翌年度のスピードアップに使うとか、環境政策関連事業に寄付するとか考えればいろいろと出てきそう。
少なくとも、ボールを宣告するというような「試合」に直接影響を与えるような種類の目的をもったルールではないというのが最終的な僕の感想である。
スポーツルール学というのを提唱している人がいる。中村敏雄という人だ。
ある本で世にあった奇妙なルールを紹介したり、どのようにルールができたかを、社会学として研究している。
そんなに簡潔にまとめられる話でもないし、長くなるので詳しくは書かないが、まずスポーツにおける「ルール」とは何か、というところから考えてみる。新しいルールを制定する側は、それくらいの心構えがあってもいいのではないかと思う。
意識的に変化させようとして行ったラグビーの試験的ルールは、ボールを大きく動かしたいという意図が明白で、さらに試験といってわざわざW杯イヤーの翌年に実施している。こういう変化ならまだわかる。
しかし「15秒ルール」に関しては、別の目的で作られたルールが、野球本来のルールに影響を及ぼすという逆のルートをたどっているように見える。
やはりゲームの性質が変わってしまうかもしれないルールを、十分な検証もないまま導入するのは反対と言わざるを得ない。
本当に時間短縮だけが目的なら、時間短縮という意識を各選手に高めさせるために「15秒」という努力目標を設定するくらいが無難ではないかと思う。
この件に関してはペナントレース開幕までに十分検討してもらいたい。
ちなみに中村敏雄の「オフサイドはなぜ反則か」は、サッカー関係者は必読の一冊である。
で、「15秒ルール」である。
そもそも何でこんなルールができたのか。そこを考えないと、水掛け論で終わってしまう気がする。
このルールを作ったのは時間短縮が理由のようである。そこはいい。おおいに賛成である。
地球環境を考えてナイターの時間も短縮したい、という試みが昨年から行われた。大義もある。
さらに時間短縮でTV放送への対応もできるかもしれない。観客の帰宅時間が早まるなどメリットが多い。
ただ、なぜそこまで「15秒ルール」の厳守を機構側が固執するのかがわからない。
時間短縮の方策は何も無走者時の投球だけではないはず。イニング間の交代、投手交代時などいろいろある。だいたい投手が時間かけるのは走者が溜まった時が多いはず。その中で無走者時だけ設定すのもなんか変な感じだ。あまり時間をかけすぎる必然性のないシチュエーションだが。
むしろそれを導入したことで、本来の野球の面白さがスポイルされるほうが問題な気がする。
これだけの現場の投手や監督が、異を唱え、「野球の面白さがそがれる」と言っているルールを実施するかどうかはかなり疑問。オープン戦の段階で兆候が出ているのだから、「決まったことだから」と突っぱねるのではなく、秒数の変更も含めて再検討すればいいと思うのだがどうだろうか。
こういうところで「ルールだから」と教条的になってしまうのは、日本らしいというか何というか。
なんども書くが根本の目的は「時間短縮」のはず。いつの間にか時間短縮という目的が「15秒ルール」を遵守させるという目的に変わってしまっているように感じるのは僕だけだろうか。
しかも投げてもいないのにボールが宣告される。それで与四球が増えてランナーがたくさん出たら、余計時間かかりはしないだろうか。う〜〜ん。
たとえば、昨シーズンの平均試合時間を出して、それが達成されなかったら、1分ごとにいくらという罰金を各チームに課すとかそういう方策はないのだろうか。12球団すべてに課すところがポイント。そこで課された資金はリーグの資金として翌年度のスピードアップに使うとか、環境政策関連事業に寄付するとか考えればいろいろと出てきそう。
少なくとも、ボールを宣告するというような「試合」に直接影響を与えるような種類の目的をもったルールではないというのが最終的な僕の感想である。
スポーツルール学というのを提唱している人がいる。中村敏雄という人だ。
ある本で世にあった奇妙なルールを紹介したり、どのようにルールができたかを、社会学として研究している。
そんなに簡潔にまとめられる話でもないし、長くなるので詳しくは書かないが、まずスポーツにおける「ルール」とは何か、というところから考えてみる。新しいルールを制定する側は、それくらいの心構えがあってもいいのではないかと思う。
意識的に変化させようとして行ったラグビーの試験的ルールは、ボールを大きく動かしたいという意図が明白で、さらに試験といってわざわざW杯イヤーの翌年に実施している。こういう変化ならまだわかる。
しかし「15秒ルール」に関しては、別の目的で作られたルールが、野球本来のルールに影響を及ぼすという逆のルートをたどっているように見える。
やはりゲームの性質が変わってしまうかもしれないルールを、十分な検証もないまま導入するのは反対と言わざるを得ない。
本当に時間短縮だけが目的なら、時間短縮という意識を各選手に高めさせるために「15秒」という努力目標を設定するくらいが無難ではないかと思う。
この件に関してはペナントレース開幕までに十分検討してもらいたい。
ちなみに中村敏雄の「オフサイドはなぜ反則か」は、サッカー関係者は必読の一冊である。
![]() | オフサイドはなぜ反則か (平凡社ライブラリー) (2001/11) 中村 敏雄 商品詳細を見る |
![]() | メンバーチェンジの思想―ルールはなぜ変わるか (平凡社ライブラリー) (1994/10) 中村 敏雄 商品詳細を見る |
![]() | スポーツルールの社会学 (朝日選書) (1991/04) 中村 敏雄 商品詳細を見る |
Posted by scrumhalf at 03:03│Comments(0)
│スポーツ全般