2009年12月11日
免疫力
免疫というのか、経験と言えばいいのだろうか。
地域サッカーリーグ決勝大会という特殊な大会には、免疫力が必要なんだろう。
なかなか初参加で突破できない不思議な大会である。ツエーゲンを見ながら、再認識させられた。
普通はその通過儀礼を、予選ラウンドで経験する。
4チーム中、1チームしか抜けられない予選ラウンドで、毎年本命とされていたチームが脱落していく。
松本山雅はこの通過儀礼を2年経験。様々なシチュエーションを想定していたはずだ。
ツエーゲンはその経験がなかった。推測でしかないが、おそらく山雅を最大のライバルと考え、第一試合で、山雅より勝ち点を取れば、昇格は現実になると考えていたのではないか。
山雅首脳陣は、ことあるごとに「勝ち点のない日を作らない」と言っていた。どの相手でも引き分けは想定していたということ。さらに言えば、ツエーゲンに負けた場合というのも想定していたはずだ。
その通過儀礼をツエーゲンは決勝ラウンドで経験した。
栃木戦では、明らかに想定外のことが起こり、対処しきれないといった様子だった。
そして最終日にギリギリのところで、ようやく掴んだ入れ替え戦の切符。
サポーターの行動や心情を綴ったブログを見ても、サポーターも免疫力がついてなかったとかんじる。
ダンマクの件にしても、山雅サポーターは地域決勝に慣れていたうえの対応だったと思う。PKでもつれることや時間がないのは経験済み。
僕も遠くから「後でいいから」と叫んだ一人だが、僕も含めて免疫がついていたんだと思う。
地域決勝とはそんな大会だ。
ただツエーゲンにとって幸いだったのは、通過儀礼を味わったのが決勝ラウンドだったこと。入れ替え戦で昇格の可能性が残った。
予選ラウンドで通過儀礼を味わっては、アルウィンにいない可能性もあったのだから。
アルウィンで見たツエーゲンでは、入れ替え戦は厳しいとは思ったが、免疫力をつけたツエーゲンは手強いかもしれない。少なくとも、相手はやりにくいだろう。
免疫力をつけたかどうか。
入れ替え戦には注目だ。 続きを読む
地域サッカーリーグ決勝大会という特殊な大会には、免疫力が必要なんだろう。
なかなか初参加で突破できない不思議な大会である。ツエーゲンを見ながら、再認識させられた。
普通はその通過儀礼を、予選ラウンドで経験する。
4チーム中、1チームしか抜けられない予選ラウンドで、毎年本命とされていたチームが脱落していく。
松本山雅はこの通過儀礼を2年経験。様々なシチュエーションを想定していたはずだ。
ツエーゲンはその経験がなかった。推測でしかないが、おそらく山雅を最大のライバルと考え、第一試合で、山雅より勝ち点を取れば、昇格は現実になると考えていたのではないか。
山雅首脳陣は、ことあるごとに「勝ち点のない日を作らない」と言っていた。どの相手でも引き分けは想定していたということ。さらに言えば、ツエーゲンに負けた場合というのも想定していたはずだ。
その通過儀礼をツエーゲンは決勝ラウンドで経験した。
栃木戦では、明らかに想定外のことが起こり、対処しきれないといった様子だった。
そして最終日にギリギリのところで、ようやく掴んだ入れ替え戦の切符。
サポーターの行動や心情を綴ったブログを見ても、サポーターも免疫力がついてなかったとかんじる。
ダンマクの件にしても、山雅サポーターは地域決勝に慣れていたうえの対応だったと思う。PKでもつれることや時間がないのは経験済み。
僕も遠くから「後でいいから」と叫んだ一人だが、僕も含めて免疫がついていたんだと思う。
地域決勝とはそんな大会だ。
ただツエーゲンにとって幸いだったのは、通過儀礼を味わったのが決勝ラウンドだったこと。入れ替え戦で昇格の可能性が残った。
予選ラウンドで通過儀礼を味わっては、アルウィンにいない可能性もあったのだから。
アルウィンで見たツエーゲンでは、入れ替え戦は厳しいとは思ったが、免疫力をつけたツエーゲンは手強いかもしれない。少なくとも、相手はやりにくいだろう。
免疫力をつけたかどうか。
入れ替え戦には注目だ。 続きを読む
2009年06月07日
我慢
サッカー日本代表の南アフリカW杯出場が決定!
出場を決めた感動よりも、ちゃんとサッカーの試合として成立するのかどうか心配ではっきり言って感動も何もない。
ほぼ決定の状況だったこともあり、どんどん追い込まれる状況の心配さだけが増していった。
ただ試合が面白くなかったわけではない。
あれだけ拾われるとどこを修正とか考えるよりは最終ラインで跳ね返すほうが現実的に思えてくる。
審判の影響もあり、あまり強く競り合えなくなったこともあり、セカンドボールの処理はまったくできなくなってくる。
こうした影響か憲剛の見せ場は徐々になくなってくる。
したがって憲剛→本田のスイッチは賛成。
大久保→矢野も意図はわかる。良かったは別問題だが。
事態を好転させようとする処方と悪化させない処方と、さまざまな策を尽くした結果、見事逃げ切った。
この試合に関しては内容云々より、あの状況で無失点だったことを素直に褒めようと思う。
しかし重ね重ねスゴイ審判だった。
2010FIFA WORLD CUP SOUTH AFRICA ASIAN QUALIFY
ウズベキスタン 0-1 日本
出場を決めた感動よりも、ちゃんとサッカーの試合として成立するのかどうか心配ではっきり言って感動も何もない。
ほぼ決定の状況だったこともあり、どんどん追い込まれる状況の心配さだけが増していった。
ただ試合が面白くなかったわけではない。
あれだけ拾われるとどこを修正とか考えるよりは最終ラインで跳ね返すほうが現実的に思えてくる。
審判の影響もあり、あまり強く競り合えなくなったこともあり、セカンドボールの処理はまったくできなくなってくる。
こうした影響か憲剛の見せ場は徐々になくなってくる。
したがって憲剛→本田のスイッチは賛成。
大久保→矢野も意図はわかる。良かったは別問題だが。
事態を好転させようとする処方と悪化させない処方と、さまざまな策を尽くした結果、見事逃げ切った。
この試合に関しては内容云々より、あの状況で無失点だったことを素直に褒めようと思う。
しかし重ね重ねスゴイ審判だった。
2010FIFA WORLD CUP SOUTH AFRICA ASIAN QUALIFY
ウズベキスタン 0-1 日本
2009年01月28日
長野県サッカーの現状を考える
旬の話題でいえばAOKIのスポンサー撤退について書くほうがタイムリーなんだろうが、スルーできそうもない話題があった。
サポティスタに貼られていた「長野が飛び級選手を使わなくなった理由」についてである。
元ネタは「プロパガンダファクトリー」のユース・アウォーズ2008で菊池大介(湘南ベルマーレ)について書かれたコメントの一部。
要は菊池の世代の選手を国体で飛び級で選抜したら、その選手はすべて県外に出てしまい、それ以来飛び級を使用しなくなったということである。
個人的には飛び級で選ばれようが選ばれまいが、可能性を求めた選手は県外に出てしまうのが長野県の現状であるように見える。だから飛び級をしようがしまいが、結局のところ同じことだと思う。(だから優秀な選手がいればやればいいと思う)
問題は県内の高校世代のサッカーが全国的に見たときに魅力がないこと。
高校選手権の代表はトーナメントの1、2回戦で負けることが多い。全国的なレベルは低い中、よりよい環境を求めれば県外に出てしまう。
それでも選手権は、最近強い高校が分散し切磋琢磨の中、高校間でリーグ戦などが行われ、少しずつレベルをあげているように感じる。
悲惨なのはクラブチーム。
現在ユース世代のクラブチームは松本山雅U-18のみ。ライバルもないまま、そのまま全国大会の予選にのぞんでいるのが現状。その北信越予選に出ると一つだけ頭の飛びぬけたアルビレックス新潟ユースというチームがある。なかなか緊張感のある試合を経験できないまま高校世代が終わる。
すべての高校生が有力校に進学とは限らない現状で、クラブチームがこの状況というのはさびしいと言うしかない。
この現状では、プロを目指す選手が高校世代に長野に残る選択をするというのは難しい。
この高校世代のレベルアップの方策をたてること、もう一つ中学生・高校生の女子サッカー選手のプレー環境の整備。この2点は長野県サッカー協会が取り組むべき優先度の高い命題だと思う。
個人的に、県協会はJリーグチームを県内に誕生させる活動よりも重要だと思う。松本山雅FC、AC長野パルセイロとJを目指す宣言をして活動しているチームが出てきており、クラブとしてあがっていく可能性があるなら、現段階では県協会として後方支援のような形で充分だと思う。
しかしながら次世代を見据える上記2点に関しては、今からでも取り掛からなければならない問題だと思う。
高校サッカーは述べたので、女子サッカーを少しだけ。
小学生のサッカーに関わるとわかるのだが、4年生くらいから男子に混じってサッカーをする人数が徐々にすくなくなっていく。このころから体力差が出てきて女子チームに入っていく子供が増える。
そして中学生になると、中学生のカテゴリーではなく、U-18や大人のシニアチームに混ざらないといけないというのが多いらしい。
もちろん実力をつけるために大人に混じるのは構わないが、レベルがかけ離れてしまっては効果がない。ステップアップしていく段階が踏めていないのだから。
中学・高校では部活がない状態で、男子に混じるにも学校単位では厳しいだろう。
これは思いつきでしかないのだが、北信、東信、中信、南信の4地域で定期的に練習できないものだろうか。継続できる頻度を考えて月2回くらいからでも。
そしてその4地域で対抗戦を半年に1回くらい行う。
ラグビーをやっている人ならわかるが、州代表や地域代表のイメージだ。
選抜なら、それ以外に定期的にU-18に所属しているチームがあってもいいし、普段他の部活をやっていたって構わない。むしろ他のスポーツをやっているほうが、優秀な選手を生み出すにはプラスになるはず。
思いつきの地域選抜がいいかどうかは別にして、各チームでU-15チームが頓挫している現状では、協会としてなんらかのアクションや方針を打ち出す必要があると思う。
繰り返しになるが、高校世代のレベルアップと中高世代の女子サッカーの環境整備は、県協会ひいてはサッカー関係者すべてが考えていかなければならない問題だと感じている。
サポティスタに貼られていた「長野が飛び級選手を使わなくなった理由」についてである。
元ネタは「プロパガンダファクトリー」のユース・アウォーズ2008で菊池大介(湘南ベルマーレ)について書かれたコメントの一部。
要は菊池の世代の選手を国体で飛び級で選抜したら、その選手はすべて県外に出てしまい、それ以来飛び級を使用しなくなったということである。
個人的には飛び級で選ばれようが選ばれまいが、可能性を求めた選手は県外に出てしまうのが長野県の現状であるように見える。だから飛び級をしようがしまいが、結局のところ同じことだと思う。(だから優秀な選手がいればやればいいと思う)
問題は県内の高校世代のサッカーが全国的に見たときに魅力がないこと。
高校選手権の代表はトーナメントの1、2回戦で負けることが多い。全国的なレベルは低い中、よりよい環境を求めれば県外に出てしまう。
それでも選手権は、最近強い高校が分散し切磋琢磨の中、高校間でリーグ戦などが行われ、少しずつレベルをあげているように感じる。
悲惨なのはクラブチーム。
現在ユース世代のクラブチームは松本山雅U-18のみ。ライバルもないまま、そのまま全国大会の予選にのぞんでいるのが現状。その北信越予選に出ると一つだけ頭の飛びぬけたアルビレックス新潟ユースというチームがある。なかなか緊張感のある試合を経験できないまま高校世代が終わる。
すべての高校生が有力校に進学とは限らない現状で、クラブチームがこの状況というのはさびしいと言うしかない。
この現状では、プロを目指す選手が高校世代に長野に残る選択をするというのは難しい。
この高校世代のレベルアップの方策をたてること、もう一つ中学生・高校生の女子サッカー選手のプレー環境の整備。この2点は長野県サッカー協会が取り組むべき優先度の高い命題だと思う。
個人的に、県協会はJリーグチームを県内に誕生させる活動よりも重要だと思う。松本山雅FC、AC長野パルセイロとJを目指す宣言をして活動しているチームが出てきており、クラブとしてあがっていく可能性があるなら、現段階では県協会として後方支援のような形で充分だと思う。
しかしながら次世代を見据える上記2点に関しては、今からでも取り掛からなければならない問題だと思う。
高校サッカーは述べたので、女子サッカーを少しだけ。
小学生のサッカーに関わるとわかるのだが、4年生くらいから男子に混じってサッカーをする人数が徐々にすくなくなっていく。このころから体力差が出てきて女子チームに入っていく子供が増える。
そして中学生になると、中学生のカテゴリーではなく、U-18や大人のシニアチームに混ざらないといけないというのが多いらしい。
もちろん実力をつけるために大人に混じるのは構わないが、レベルがかけ離れてしまっては効果がない。ステップアップしていく段階が踏めていないのだから。
中学・高校では部活がない状態で、男子に混じるにも学校単位では厳しいだろう。
これは思いつきでしかないのだが、北信、東信、中信、南信の4地域で定期的に練習できないものだろうか。継続できる頻度を考えて月2回くらいからでも。
そしてその4地域で対抗戦を半年に1回くらい行う。
ラグビーをやっている人ならわかるが、州代表や地域代表のイメージだ。
選抜なら、それ以外に定期的にU-18に所属しているチームがあってもいいし、普段他の部活をやっていたって構わない。むしろ他のスポーツをやっているほうが、優秀な選手を生み出すにはプラスになるはず。
思いつきの地域選抜がいいかどうかは別にして、各チームでU-15チームが頓挫している現状では、協会としてなんらかのアクションや方針を打ち出す必要があると思う。
繰り返しになるが、高校世代のレベルアップと中高世代の女子サッカーの環境整備は、県協会ひいてはサッカー関係者すべてが考えていかなければならない問題だと感じている。
2007年03月01日
大量点
なんで日本のマスコミやサポーターは、格下相手のチームの対戦ではあんなに大量点を望むんだろうか。
対戦相手のスカウティングを十分に行ったうえで望むならいいのだろうが、ランキングなどで格下と判断して大量点を期待するのはいかがなものか。サポーターで香港の選手を見たひとなんてほとんどいないだろうし。
当日の選手のコンディション、天候などによって左右されるかもしれないし、とんどもなくひどい審判が来るかもしれない。
そもそもフットボールというものは、点が入りにくいようにできているものだ。オフサイドがあったり、ボールを後ろにしか投げられなかったり。
サッカーでは、もとより大量点を取るための練習なんて行っていない。どんなスポーツよりもたった1回の失点が重くのしかかる競技なのである。
したがって僕が大量点を望むのは試合が始まってから、3点差以上ついてから、時間によっては2点差ついてからである。実際に昨日の試合も2点目が入ってからの攻勢だった。
1点返されても追いつかれないという状況ができて、犯せるリスクの許容度が上がる。その状況にないまま大量点を望むのはあまり好きな雰囲気ではない。
大量点を望んだことによって、会場に醸し出される失望の空気というものは伝染すると思っている。松本の人間には去年のホーム開幕戦のフェルヴォ石川戦、残り2節となった上田ジェンシャン戦の停滞感は、大量点を望み開始早々の得点を期待しすぎた観客の影響も多分にあった気がする。
後半に4点、5点入る試合もある。試合前から大量点を望んだり、試合の前半の段階で失望したりするのはやめにしよう、といつも思うのだがいかがなものだろうか。
五輪の2次予選のように、進出が容易なレギュレーションで、きっちり勝ち点を積み重ねていけば進出できる試合で、これから先、強豪相手に通用しないような攻撃パターンで、かなりリスクを犯した状態の攻撃で点を積み重ねたとしても今後に意味をなさないはず。得失点差が生きてきそうな状況ならまだしも、昨日の試合で大量点を望んでも意味がない。攻撃パターンがよくなかったという批判ならいくらでもするべきだと思うが。
そういう意味で去年の北信越リーグ最終戦はレアケース。あの場合は大量点を望み、前半に停滞感がただよっても仕方がない。首位しか意味がないレギュレーションだから大多数の人が望んでもおかしくはない。
あのとき僕が「いつもどおりのサッカー」と主張したのは、失点もしてはいけない状況だと思ったから。1失点がミッションをさらに困難にすると思ったので。
だからいつものサッカーをして15分くらいで3−0だったら、本気で22点獲りにいけばいいと思った。相手の力量も肌でわかるだろうし、注意しなければいけない選手、攻撃パターンわかったうえなら、どのポジションがリスクを犯していいか、どのポジションが慎重を期したらいいかもわかるだろう。
僕がサッカーの試合前に大量点を期待するのは、相当なレアケースでもないかぎりないと思っていい。「なんでそんなに大量点を期待するの?」みたいな発言をするかもしれないが、基本的な理由は今日書いたとおり。
ただ試合中はわかりません。去年の上田at菅平みたいな大量点をみすみす逃すような采配をしたら、「なんで点を取れそうな試合にそんなことするんだ」と失望する。勝ち点の心配がなくなったら次は得失点差だろ、と心の中で(時には声を出して)叫ぶと思う。
昨日の五輪代表の中継をみながら、ずっとそんなことを考えていた。
対戦相手のスカウティングを十分に行ったうえで望むならいいのだろうが、ランキングなどで格下と判断して大量点を期待するのはいかがなものか。サポーターで香港の選手を見たひとなんてほとんどいないだろうし。
当日の選手のコンディション、天候などによって左右されるかもしれないし、とんどもなくひどい審判が来るかもしれない。
そもそもフットボールというものは、点が入りにくいようにできているものだ。オフサイドがあったり、ボールを後ろにしか投げられなかったり。
サッカーでは、もとより大量点を取るための練習なんて行っていない。どんなスポーツよりもたった1回の失点が重くのしかかる競技なのである。
したがって僕が大量点を望むのは試合が始まってから、3点差以上ついてから、時間によっては2点差ついてからである。実際に昨日の試合も2点目が入ってからの攻勢だった。
1点返されても追いつかれないという状況ができて、犯せるリスクの許容度が上がる。その状況にないまま大量点を望むのはあまり好きな雰囲気ではない。
大量点を望んだことによって、会場に醸し出される失望の空気というものは伝染すると思っている。松本の人間には去年のホーム開幕戦のフェルヴォ石川戦、残り2節となった上田ジェンシャン戦の停滞感は、大量点を望み開始早々の得点を期待しすぎた観客の影響も多分にあった気がする。
後半に4点、5点入る試合もある。試合前から大量点を望んだり、試合の前半の段階で失望したりするのはやめにしよう、といつも思うのだがいかがなものだろうか。
五輪の2次予選のように、進出が容易なレギュレーションで、きっちり勝ち点を積み重ねていけば進出できる試合で、これから先、強豪相手に通用しないような攻撃パターンで、かなりリスクを犯した状態の攻撃で点を積み重ねたとしても今後に意味をなさないはず。得失点差が生きてきそうな状況ならまだしも、昨日の試合で大量点を望んでも意味がない。攻撃パターンがよくなかったという批判ならいくらでもするべきだと思うが。
そういう意味で去年の北信越リーグ最終戦はレアケース。あの場合は大量点を望み、前半に停滞感がただよっても仕方がない。首位しか意味がないレギュレーションだから大多数の人が望んでもおかしくはない。
あのとき僕が「いつもどおりのサッカー」と主張したのは、失点もしてはいけない状況だと思ったから。1失点がミッションをさらに困難にすると思ったので。
だからいつものサッカーをして15分くらいで3−0だったら、本気で22点獲りにいけばいいと思った。相手の力量も肌でわかるだろうし、注意しなければいけない選手、攻撃パターンわかったうえなら、どのポジションがリスクを犯していいか、どのポジションが慎重を期したらいいかもわかるだろう。
僕がサッカーの試合前に大量点を期待するのは、相当なレアケースでもないかぎりないと思っていい。「なんでそんなに大量点を期待するの?」みたいな発言をするかもしれないが、基本的な理由は今日書いたとおり。
ただ試合中はわかりません。去年の上田at菅平みたいな大量点をみすみす逃すような采配をしたら、「なんで点を取れそうな試合にそんなことするんだ」と失望する。勝ち点の心配がなくなったら次は得失点差だろ、と心の中で(時には声を出して)叫ぶと思う。
昨日の五輪代表の中継をみながら、ずっとそんなことを考えていた。
2006年09月08日
得失点差
今年の北信越リーグを見ながら、得失点差で順位を決めてしまうことに懐疑的に感じることが多くなってしまった。
上位チームとシーズン序盤にあたる松本山雅は負けないチーム作りをした。守備がベースに攻撃はシンプルという形を採用した。それに対し長野エルザは攻撃力を前面に出し、JSCはフィジカルコンタクトに長けたチームを作り上げた。そこは方針であり優劣はつけられないと思う。
上位4チームと下位4チームに実力差があり、開幕当初得点差が開いたゲームが続出した。しかし当然スピードに慣れてくるし、戦い方も変えてくる。そしてその頃に下位チームとあたる松本山雅は思ったように得点はできない。もとよりそういうチーム作りをしていない。さきほども言ったようにそれがサッカーの質の優劣にはならない。
それとは裏腹にサポーターや会場の観客は大量得点を望む。得失点差によって順位が決まるからだ。しかしなかなか点を取れないと90分の25分くらいで会場の雰囲気がどんよりしてくる。まだ25分しか経っていないのに…。
アウェーの上田ジェンシャン戦では前半では4−0の大量リード。勝負が決したと判断したベンチはDFを減らして攻撃の選手をどんどん投入。結果バランスを崩して1点のみ。これも得失点差を意識したせいでおかしくなった試合である。
もともと普段のサッカー崩してまで大量点を狙うという行為は、サッカーという競技の面白さをスポイルしているように思う。攻守が一体となった非プレー時間の少ないサッカーという競技にあって、攻撃だけを重視するとか守備だけを重視するというシチュエーションを作ってしまうのはリーグとしていかがなものかとも思ってしまう。
当然差がついた状況も違う。天候などに影響されるかもしれない。家本みたいな主審がいて攻撃の中心選手を退場にしてしまうかもしれない。
なるべく実力差が反映されるように順位付けするという概念のリーグ戦において、こうした単発の試合の状況が反映されてしまう順位の付け方にはだいぶ疑問を感じるようになった。
個人的なこの好き嫌いもあるのだが、まずはいつもどおりの戦い方をするのが、どんな相手でもどんな状況であってもまず第一。いつもの戦い方で前半の早いうちに得点が入り、点差がついてきて、はじめて大量点を意識した戦いをするのがベストだと思う。
そういえば、昔こんなシーンがあった。
福岡対横浜FM。0対3とリードされた福岡は、降格争いでの得失点差を考え、負けている状況にもかかわらず引いて守った。ここで勝っているはずの横浜DF、松田直樹がキレた。
「もっと来いよ!」
両手でのジェスチャーつき。勝利インタビューでも相手に対して怒りのコメントを発した。
得失点差での順位付けをなくすとこういうシーンもなくなるのではないだろうか。
得失点差での順位付けがないとすると勝ち点で並んだ場合はプレーオフか当該チーム同士の対戦成績となる。もし当該チーム同士の対戦という順位付けを採用すると、北信越リーグの現状は、JSC、エルザはともに勝てば優勝、引き分けで山雅が勝つとエルザと勝ち点で並びエルザに2連勝している山雅が優勝、ということになる。このほうが緊迫感があって面白いと思うのだが。
上位チームとシーズン序盤にあたる松本山雅は負けないチーム作りをした。守備がベースに攻撃はシンプルという形を採用した。それに対し長野エルザは攻撃力を前面に出し、JSCはフィジカルコンタクトに長けたチームを作り上げた。そこは方針であり優劣はつけられないと思う。
上位4チームと下位4チームに実力差があり、開幕当初得点差が開いたゲームが続出した。しかし当然スピードに慣れてくるし、戦い方も変えてくる。そしてその頃に下位チームとあたる松本山雅は思ったように得点はできない。もとよりそういうチーム作りをしていない。さきほども言ったようにそれがサッカーの質の優劣にはならない。
それとは裏腹にサポーターや会場の観客は大量得点を望む。得失点差によって順位が決まるからだ。しかしなかなか点を取れないと90分の25分くらいで会場の雰囲気がどんよりしてくる。まだ25分しか経っていないのに…。
アウェーの上田ジェンシャン戦では前半では4−0の大量リード。勝負が決したと判断したベンチはDFを減らして攻撃の選手をどんどん投入。結果バランスを崩して1点のみ。これも得失点差を意識したせいでおかしくなった試合である。
もともと普段のサッカー崩してまで大量点を狙うという行為は、サッカーという競技の面白さをスポイルしているように思う。攻守が一体となった非プレー時間の少ないサッカーという競技にあって、攻撃だけを重視するとか守備だけを重視するというシチュエーションを作ってしまうのはリーグとしていかがなものかとも思ってしまう。
当然差がついた状況も違う。天候などに影響されるかもしれない。家本みたいな主審がいて攻撃の中心選手を退場にしてしまうかもしれない。
なるべく実力差が反映されるように順位付けするという概念のリーグ戦において、こうした単発の試合の状況が反映されてしまう順位の付け方にはだいぶ疑問を感じるようになった。
個人的なこの好き嫌いもあるのだが、まずはいつもどおりの戦い方をするのが、どんな相手でもどんな状況であってもまず第一。いつもの戦い方で前半の早いうちに得点が入り、点差がついてきて、はじめて大量点を意識した戦いをするのがベストだと思う。
そういえば、昔こんなシーンがあった。
福岡対横浜FM。0対3とリードされた福岡は、降格争いでの得失点差を考え、負けている状況にもかかわらず引いて守った。ここで勝っているはずの横浜DF、松田直樹がキレた。
「もっと来いよ!」
両手でのジェスチャーつき。勝利インタビューでも相手に対して怒りのコメントを発した。
得失点差での順位付けをなくすとこういうシーンもなくなるのではないだろうか。
得失点差での順位付けがないとすると勝ち点で並んだ場合はプレーオフか当該チーム同士の対戦成績となる。もし当該チーム同士の対戦という順位付けを採用すると、北信越リーグの現状は、JSC、エルザはともに勝てば優勝、引き分けで山雅が勝つとエルザと勝ち点で並びエルザに2連勝している山雅が優勝、ということになる。このほうが緊迫感があって面白いと思うのだが。
タグ :得失点差
2002年06月12日
大逆転
大逆転のための応援は前日から始めていた。ドイツを応援していた。
パラグアイがグループリーグを突破するためには、スロベニアに勝つだけでなく同時進行のスペイン対南アフリカでスペインが勝つことが最低条件であった。南アフリカに敗戦すれば2位通過の可能性もあるスペインが勝ちにくるためにはドイツが1位通過してほしい。
決勝トーナメントの相手となるE組1位がドイツなら、スペインは勝ちにくるのではないかとふんでいた。スペインのサッカーを考えて、最初から引き分け以下を狙うことはないとわかってはいたが、より可能性を探るならE組1位はドイツがいいだろうと考えていた。そしてカメルーンに勝ったドイツは1位通過を決めた。
パラグアイには上の条件のほかにも、得失点差をひっくり返さなければ突破はなかった。したがって最低2点差が必要だろうというのが試合前の予想。そんな思いとは裏腹に試合はスロベニアペース。初戦でスペイン相手に内容的に互角以上のサッカーをしたスロベニアは甘くはなく、退場者を出した上に先生を許す。この時点でスペインが先制したことはわかっていたので、この段階ではスペインが2点差をつけてくれることを願うという、本当に他力本願な突破を望んでいた人が多かった。
しかし南アフリカ同点。落胆が広がる。
その後、スペインが勝ち越し。やはりスペインへの肩入れが強くなる。スペインが2点差をつけて、パラグアイが逆転するというシナリオしかないと思い始める。しかし2試合とも後半大きく動く。これだからリーグ戦は面白い。
後半、南アフリカが追いつく。2−2。この時点ではあきらめが強くなっていた。スペインは引き分けでも1位通過である。当然南アフリカも引き分けで突破。それほど試合が大きく動くとは考えにくかった。しかし程なくスペイン勝ち越し。ラウールがこの日2点目。パラグアイにとっての救世主の一人は間違いなくラウールだった。
その頃西帰浦では、腰の重いイタリア人監督が選手交代を行っていた。カルドソOUT、クエバスIN。解説の高木琢也に「カルドソはいい選手なので、替えるのはどうですかね〜」と言ったこの交代がゲームの流れを180度変える。まずクエバスが同点ゴール。いままであまりパラグアイで見られなかった、前線でのドリブルの仕掛けからだった。さらにやはり途中交代のカンポスが勝ち越しゴールをスロベニアゴールを陥れる。逆転。
この時点でスペイン3−2南アフリカ。パラグアイ2−1スロベニア。
このまま行くと勝ち点9のスペインは問題なく1位。勝ち点4で並ぶ南アフリカとパラグアイだが、得失点で1南アフリカが上回る。しかしパラグアイに1点入ると得失点差で並び、総得点で1上回る。スペインがもう1点加えた場合は、総得点まで並びパラグアイVS南アフリカがドローのため抽選にもつれこむ。試合途中でいろいろなケースが頭で想定される。すっきりするのはパラグアイが2点差つけるケースだ。
そんなことを考えているうちに、再びクエバスがドリブルを開始する。右サイドから徐々に中に切れ込んでいったクエバスは左足でシュート。クロスバーにあたったボールはそのままインゴールへ。貴重な貴重な3点目がパラグアイに入る。このままいけば実際には苦しいかもと思っていた逆転の突破が実現する。数人と総得点で上回っていることを確認してあとは試合終了までは試合が動かないようにと祈るだけだ。
まずはパラグアイ対スロベニアが3−1のまま終了。当然マン・オブ・ザ・マッチはクエバス。途中出場で攻撃のリズムを変え2得点。総得点の争いになっただけにクエバスは大仕事をやってのけた。
すぐさまスペイン対南アフリカが終了。結局3−2。なんとも言えない南アフリカの選手の表情が印象的だった。総得点差1。釜山のパラグアイ戦で追いついた終了間際のPKは、とてつもなく大きいゴールだと思っていた。対戦順などを考えて、パラグアイにとってかなり痛手となったはずのPKは、ラウールの決定力とクエバスの若さによって吹き飛んでしまった。
2試合両方で終了後喜びを表し、総得点での逆転というめったにない逆転劇。キャンプ地という立場で得た、もうひとつのホームチームは、日本とはまた違った感動を残してくれた。
2002 FIFA World Cup KOREA/JAPAN™ GROUP B
パラグアイ 3-1 スロベニア
2002.6.12 at Jeju World Cup Stadium
パラグアイがグループリーグを突破するためには、スロベニアに勝つだけでなく同時進行のスペイン対南アフリカでスペインが勝つことが最低条件であった。南アフリカに敗戦すれば2位通過の可能性もあるスペインが勝ちにくるためにはドイツが1位通過してほしい。
決勝トーナメントの相手となるE組1位がドイツなら、スペインは勝ちにくるのではないかとふんでいた。スペインのサッカーを考えて、最初から引き分け以下を狙うことはないとわかってはいたが、より可能性を探るならE組1位はドイツがいいだろうと考えていた。そしてカメルーンに勝ったドイツは1位通過を決めた。
パラグアイには上の条件のほかにも、得失点差をひっくり返さなければ突破はなかった。したがって最低2点差が必要だろうというのが試合前の予想。そんな思いとは裏腹に試合はスロベニアペース。初戦でスペイン相手に内容的に互角以上のサッカーをしたスロベニアは甘くはなく、退場者を出した上に先生を許す。この時点でスペインが先制したことはわかっていたので、この段階ではスペインが2点差をつけてくれることを願うという、本当に他力本願な突破を望んでいた人が多かった。
しかし南アフリカ同点。落胆が広がる。
その後、スペインが勝ち越し。やはりスペインへの肩入れが強くなる。スペインが2点差をつけて、パラグアイが逆転するというシナリオしかないと思い始める。しかし2試合とも後半大きく動く。これだからリーグ戦は面白い。
後半、南アフリカが追いつく。2−2。この時点ではあきらめが強くなっていた。スペインは引き分けでも1位通過である。当然南アフリカも引き分けで突破。それほど試合が大きく動くとは考えにくかった。しかし程なくスペイン勝ち越し。ラウールがこの日2点目。パラグアイにとっての救世主の一人は間違いなくラウールだった。
その頃西帰浦では、腰の重いイタリア人監督が選手交代を行っていた。カルドソOUT、クエバスIN。解説の高木琢也に「カルドソはいい選手なので、替えるのはどうですかね〜」と言ったこの交代がゲームの流れを180度変える。まずクエバスが同点ゴール。いままであまりパラグアイで見られなかった、前線でのドリブルの仕掛けからだった。さらにやはり途中交代のカンポスが勝ち越しゴールをスロベニアゴールを陥れる。逆転。
この時点でスペイン3−2南アフリカ。パラグアイ2−1スロベニア。
このまま行くと勝ち点9のスペインは問題なく1位。勝ち点4で並ぶ南アフリカとパラグアイだが、得失点で1南アフリカが上回る。しかしパラグアイに1点入ると得失点差で並び、総得点で1上回る。スペインがもう1点加えた場合は、総得点まで並びパラグアイVS南アフリカがドローのため抽選にもつれこむ。試合途中でいろいろなケースが頭で想定される。すっきりするのはパラグアイが2点差つけるケースだ。
そんなことを考えているうちに、再びクエバスがドリブルを開始する。右サイドから徐々に中に切れ込んでいったクエバスは左足でシュート。クロスバーにあたったボールはそのままインゴールへ。貴重な貴重な3点目がパラグアイに入る。このままいけば実際には苦しいかもと思っていた逆転の突破が実現する。数人と総得点で上回っていることを確認してあとは試合終了までは試合が動かないようにと祈るだけだ。
まずはパラグアイ対スロベニアが3−1のまま終了。当然マン・オブ・ザ・マッチはクエバス。途中出場で攻撃のリズムを変え2得点。総得点の争いになっただけにクエバスは大仕事をやってのけた。
すぐさまスペイン対南アフリカが終了。結局3−2。なんとも言えない南アフリカの選手の表情が印象的だった。総得点差1。釜山のパラグアイ戦で追いついた終了間際のPKは、とてつもなく大きいゴールだと思っていた。対戦順などを考えて、パラグアイにとってかなり痛手となったはずのPKは、ラウールの決定力とクエバスの若さによって吹き飛んでしまった。
2試合両方で終了後喜びを表し、総得点での逆転というめったにない逆転劇。キャンプ地という立場で得た、もうひとつのホームチームは、日本とはまた違った感動を残してくれた。
2002 FIFA World Cup KOREA/JAPAN™ GROUP B
パラグアイ 3-1 スロベニア
2002.6.12 at Jeju World Cup Stadium
2001年11月04日
折れかけた翼
42,011人。鳥屋野潟にある白鳥をイメージしたスタジアムには、自らの持つJ2の入場記録を更新する人数が駆けつけた。入場者のほとんどが、そしてオレンジのユニフォームの選手が、勝ち点3を奪うことを願っていた。
試合は後半18分までは京都ペース。しかしながら、スコアは新潟の2−1。3点とも流れの悪くなりかけた方が点を取るという展開だった。新潟の先取点は最初に訪れたチャンスを、京都の同点ゴールはいい流れが膠着した時間帯に、新潟の2点目にいたっては、点の入った瞬間はしっかり覚えていたものの、どういった展開で氏原が抜け出たか、夜のニュースを見るまで思い出せなかった。ただ突然チャンスになったことだけは確かだ。新潟に点が入るような流れにはとても思えなかったのだ。
そして勝ち越した新潟は、ここから終了間際まで完全にペースを握る。チェックの位置が、点を取る前より高くなり、より前でボールを奪えるようになった。その結果京都中盤はやや乱れ、フリーになる新潟の選手が多くなり、得点のチャンスが何度も訪れる。ここでもう一点入っていれば、勝負は完全に決していた。
しかし後半43分。ここまでの展開がそうであったように、流れの悪かった京都に突然チャンスが訪れる。ここ15分の間、ほとんどフリーで前を向けなかった京都の中盤が、この時だけは余裕があった。ゴール前に上がったアーリークロスが長身の上野へ。やや距離のあった力のないヘディングシュートは、途中から振り出した雨を気にしすぎたのか、GK野澤の手をかすめゴールへ。奪いかけた勝ち点3は手のひらからこぼれ落ちた。静寂のスタジアムに90分の終了を告げる笛が鳴った。
首位であった京都と勝ち点差は4。3つ縮めることはできなかったが、ここで2を加えることができれば、毎年終盤にドラマの起こる昇格争いを考えれば、望みはまだかなりあった。しかしスタジアム内は、勝ち点2を奪いに行くという雰囲気よりも、勝ち点3を取れなかった失望感が勝っていた。GK野澤も2点目の影響で積極性を失いかけていた。こうして訪れたVゴールは、この試合初めてゲームを支配してチームに訪れたゴールだった。
少し疑問の残る判定からのリスタートがそのままVゴールにつながったことによって、新潟サポーターの間では、審判を批判するような意見が聞かれたが、おそらく延長を無難に裁いたとしても、訪れた結果は同じであったように思う。終了間際の同点劇によって、そして試合前の勝ち点3への願いが強かったため、延長では勝ち点2への執着心がチーム、サポーターに感じられなかった。ゲームは同点ゴールで決まっていた。
しかし、毎年候補にもあがらなかったアルビレックスがこれほど一つの試合の勝ち点3を渇望したのは初めてだろう。サッカーの世界では、こうした初体験の状況で悲劇的な結末がよくあらわれる。これはチームがさらに力をつけるための通過儀礼のようなものだ。これを力にするかどうかはこれからの努力しだいなのである。
試合後、力なく崩れ落ちた翼は力を取り戻す日がくるのだろうか。少なくとも私は近いうちに訪れると思う。少なくとも北陸のクラブチームには、翼を支えるだけのサポーターが毎試合スタジアムに訪れている。観客の力を借りれば、翼はすぐに再生する。
2001 J2第41節
アルビレックス新潟 2(Vゴール)3 京都パープルサンガ
2001.11.3 at Big Swan Stadium
試合は後半18分までは京都ペース。しかしながら、スコアは新潟の2−1。3点とも流れの悪くなりかけた方が点を取るという展開だった。新潟の先取点は最初に訪れたチャンスを、京都の同点ゴールはいい流れが膠着した時間帯に、新潟の2点目にいたっては、点の入った瞬間はしっかり覚えていたものの、どういった展開で氏原が抜け出たか、夜のニュースを見るまで思い出せなかった。ただ突然チャンスになったことだけは確かだ。新潟に点が入るような流れにはとても思えなかったのだ。
そして勝ち越した新潟は、ここから終了間際まで完全にペースを握る。チェックの位置が、点を取る前より高くなり、より前でボールを奪えるようになった。その結果京都中盤はやや乱れ、フリーになる新潟の選手が多くなり、得点のチャンスが何度も訪れる。ここでもう一点入っていれば、勝負は完全に決していた。
しかし後半43分。ここまでの展開がそうであったように、流れの悪かった京都に突然チャンスが訪れる。ここ15分の間、ほとんどフリーで前を向けなかった京都の中盤が、この時だけは余裕があった。ゴール前に上がったアーリークロスが長身の上野へ。やや距離のあった力のないヘディングシュートは、途中から振り出した雨を気にしすぎたのか、GK野澤の手をかすめゴールへ。奪いかけた勝ち点3は手のひらからこぼれ落ちた。静寂のスタジアムに90分の終了を告げる笛が鳴った。
首位であった京都と勝ち点差は4。3つ縮めることはできなかったが、ここで2を加えることができれば、毎年終盤にドラマの起こる昇格争いを考えれば、望みはまだかなりあった。しかしスタジアム内は、勝ち点2を奪いに行くという雰囲気よりも、勝ち点3を取れなかった失望感が勝っていた。GK野澤も2点目の影響で積極性を失いかけていた。こうして訪れたVゴールは、この試合初めてゲームを支配してチームに訪れたゴールだった。
少し疑問の残る判定からのリスタートがそのままVゴールにつながったことによって、新潟サポーターの間では、審判を批判するような意見が聞かれたが、おそらく延長を無難に裁いたとしても、訪れた結果は同じであったように思う。終了間際の同点劇によって、そして試合前の勝ち点3への願いが強かったため、延長では勝ち点2への執着心がチーム、サポーターに感じられなかった。ゲームは同点ゴールで決まっていた。
しかし、毎年候補にもあがらなかったアルビレックスがこれほど一つの試合の勝ち点3を渇望したのは初めてだろう。サッカーの世界では、こうした初体験の状況で悲劇的な結末がよくあらわれる。これはチームがさらに力をつけるための通過儀礼のようなものだ。これを力にするかどうかはこれからの努力しだいなのである。
試合後、力なく崩れ落ちた翼は力を取り戻す日がくるのだろうか。少なくとも私は近いうちに訪れると思う。少なくとも北陸のクラブチームには、翼を支えるだけのサポーターが毎試合スタジアムに訪れている。観客の力を借りれば、翼はすぐに再生する。
2001 J2第41節
アルビレックス新潟 2(Vゴール)3 京都パープルサンガ
2001.11.3 at Big Swan Stadium