2010年01月23日
【YAMAGA PLAY BACK 14】
不運の男
2007.7.1 AC長野パルセイロ VS 松本山雅FC
正直に告白しよう。
僕は小田竜也という選手が大好きだ。
レッドカードをもらって山雅に貢献したとかそういう意味ではなく、純粋にプレーヤーとして評価していた。
今でこそ珍しくないのかもしれないが、3年ほど前に複数のポジションをかなりのレベルでこなせる選手は、北信越リーグにはほとんどいなかった。
他に思い浮かんだのは、三本菅崇くらいだ。
予算も限られている地域リーグで思うような編成ができないのは、当然のこと。そんな中にあって、ユーティリティなプレーヤーは貴重である。
そんな選手なのに、カードコレクターのような印象のきっかけになったあの試合を思い出すと、どうしても不運な男だと思ってしまう。
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前節、選手給与未払いなどえ経営危機が伝えられるフェルヴォローザ石川・白山FC(現ゴールズFC)に不覚をとり、自力優勝が消滅した松本山雅FC。しかし上位4チームの星の潰し合いが始まることを考えると一つずつ勝っていけば優勝の可能性が高まる。それは対戦相手のAC長野パルセイロも同じ。お互い生き残りを賭けた信州ダービーだった。
負けられない緊張の中、一進一退の展開が続く。
そして最初の不運は前半終了5分前に。
山雅陣内でボールがルーズになる。倉敷保雄風に言えば「フィフティのボール」に小田はスライディングでボールに働きかけた。山雅側は斎藤智閣がボールを追う。次の瞬間二人は交錯する。
僕には流れの中のプレーに見えた。たしかに斎藤の足に小田の足が掛かったがスライディングした以上、急には止まれない。体を入れようとしたのだろうか、僕には斎藤がぶつかっていたように見えた。
しかし、かなりの激しいぶつかり方。山雅のベンチ前だったこともあって騒然となり小田にイエローカードが提示された。
何度も言うが流れの中のプレー、しかも斎藤がぶつかりにいったように見えたので、このカードは厳しいように感じた。そしてこのカードが小田悲劇の序章だった。
余談になるが、かなり激しいぶつかり方でピッチに倒れたものの、数分後に斎藤は平然とプレー。斎藤の頑丈さを再認識した。
そしてさらなる不運は後半早々。
開始2分。ゴールエリアに侵入した山雅の竹内に後ろからチェックにいく小田。そして竹内が倒れ、笛が鳴らされた。
全然激しい当たりではなかった。しかし後ろからチェックにいったことを重くみたのか、PKの判定の上に小田に2枚目のイエローカードが提示され退場。
このPKを土橋が決めて山雅が先制。待望の先制点のうえに数的不利になったこの試合はこれ以降一方的山雅ペースになった。
今でもYou Tubeなどで見れるのだが、とてもイエローはおろか、PKにさえならないような接触に見える。仮にPKだったとして、イエローは提示しなくてもいいのでは? というくらいのプレーだった。
あれ以来、山雅のサポーターはダーティーなプレーヤーなイメージがついたかもしれないが、僕には「不運の男」というイメージしかない。
一方的になった試合は、GKまで参加したセットプレーのカウンターから、無人のゴールに白尾が蹴りこむというオチまでついて山雅が3-0の完勝。
同日、首位のJAPANサッカーカレッジが敗れ、自力優勝が復活。このまま北信越リーグを制した。
小田はこれ以後もパルセイロの主力として活躍する。
佐藤大典のケガの際にはFWまでつとめ、さらにユーティリティな才能を発揮。
しかし、2008年のリーグチャンピオンとして望んだ地域リーグ決勝大会の予選ラウンド最終日。バンディオンセ加古川を相手に小田は退場。試合も逆転負けを喫し、決勝ラウンド目前にして3位に転落した。
彼は随所にいいプレーを見せながら最後まで不運な男だった。
あのダービーの不運がなければ、ここまで悲運のイメージがつかなかっただろうにといつも思う。
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小田竜也はAC長野パルセイロを退団。チームを上田ジェンシャンに移す。
冒頭に書いたが、好きなプレーヤーなのだ。だからまだ北信越で彼が見れることを実は喜んでいる。
2006年、雨のアルウィンでの信州ダービーで爆発的なスピードで右サイドを駆け上がり同点ゴールを決めたあのシーンは鮮明に覚えている。
あれが小田を印象付けたきっかけなのだ。
今はニュートラルな立場で彼を見れる。
今年の北信越リーグ、いろいろな意味ですごい楽しみなのだ。
第33回 北信越フットボールリーグ1部 第12節
長野エルザSC 0-3 松本山雅FC
2007.7.1 at South Nagano Athletic Park
2009年10月09日
【YAMAGA PLAY BACK 13】
平塚に響く緑の歓喜
2008.10.12 湘南ベルマーレ VS 松本山雅FC
アップセットが起きるためには会場の雰囲気というのが大きく影響すると思っている。
天皇杯での湘南戦は会場に着くまで、松本山雅の勝利を思うまでには至っていなかった。
もちろん毎年天皇杯で番狂わせが起こっていることは承知してはいたが、まさかそれが自分のサポートしているチームで起こるとはほんのわずかな可能性として思っていなかった。
その考えが少し変わったのがバックスタンドからみたスタンドの風景だった。
開始30分くらい前にして、スタンドは湘南サポ、山雅サポほぼ半分。実際には湘南側に入って来れなかったサポーターが山雅サイドに入っていたようだが、それでもこの入りをみて少し勝利の気持ちが高まった。
今思えば不思議と仕組まれていたような試合である。
この日開催の天皇杯で唯一のナイトゲーム。サポーターを密集させるようなメインスタンドのみの開放。
あまりにもイレギュラーな要素が揃った試合だった。
ただ試合はレギュラーメンバーで臨んだ湘南ペース。
J2の次の公式戦で出場停止メンバーの除いたJ2さながらのメンバーだった。しかしこれもテスト要素が多く、実際にこの布陣は機能しなかった。それでも格の違いを見せ付けるように先制点を奪った。
やはり力の差があるのか、という思いが会場に支配されるかもと思われた直後、大西とのワンツーで抜け出した阿部琢久哉が左サイドを突破。マイナスの折り返しをフリーになっていた柿本があわせて同点。前年まで在籍していた湘南に恩返しのゴールとなった。
気落ちし掛けた時間帯の得点に選手、サポーターもまだやれるという思いに駆られただろう。
この後、チャンスは作られるもゴールを割らせず時間は過ぎていく。
ポイントは後半の湘南の選手交代の坂本の投入だろう。
投入後10分間は、一方的といっていい内容だった。シュートは打たれ、セカンドボールは拾えない状態。
それでもこの時間帯をしのいだことで、山雅も息を吹き返す。ここがキーポイント。
時折カウンターで逆襲。特に後半ボール奪った三本菅がそのままドリブルであがり、今井へ。
キーパーとの1対1を止められるも、効果的な反撃も出せたことで試合の行方はまったくわからなくなる。
1-1のまま90分が終了し、延長戦へ。
このころからスタジアムは少し異様な雰囲気に。
まず時間の都合で太鼓などの鳴り物が禁止となる。この先を暗示するようにさらにイレギュラーの要素が増える。
また、会場にいたニュートラルな観客が少しざわつく。
ちょうど通路とスタンドの入り口の真下あたりで見ていたのだが、「これは面白くなった」とか「何かが起きるかも」というような会話が次から次へと聞こえてくる。会場はあきらかに判官びいきのような雰囲気が漂ってきた。
湘南側からすれば、こんなはずではという思いがあったはず。
しかしその楽観した気持ちが徐々に焦りを生む。
典型的な番狂わせのパターンに思う。冒頭に会場の雰囲気が影響するといったのはそういうことだ。
延長に入っても、湘南がボールを支配し山雅のカウンターという構図は変わらない。
しかしこの頃になると湘南のシュートが入らないという確信めいたものが沸いてくる。
決定的シュートもGK原が弾き、結局1-1のままPK戦に。
PK戦は3人目川田が外し5人目に突入。決めれば勝ち上がりとなる湘南5人目を原がギリギリで触り阻止。
山雅は5人目矢畑が決めてサドンデスへ。
もうPKまで決め切れなくては流れは決まっていた。
湘南が6人目を外し、山雅は小澤が右隅に決めてアップセット完了。
この日唯一のアップセットは、唯一のナイトゲームの中、天皇杯3回戦としては多くの観客のもと起こった。
山雅サポの中には泣いている人もいたが、不思議と平静だった。
小澤がボールを置いた時点でPK勝ちは確信していたし、後半くらいから湘南のシュートが入らない予感がしていた。
前日まで全くなかった番狂わせの予感が、当日のその場でさも当然のように受けとめられたのが不思議だった。
この試合を勝ち上がった山雅は4回戦でヴィッセル神戸と対戦。8-0と大敗も大きな印象を残して大会を去った。
そして天皇杯の後、地域リーグ決勝大会への繰上げ出場、そして敗退と「これぞ山雅」というジェットコースターのシーズンを送ることになった。
第88回 天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦
湘南ベルマーレ 1-1(PK4-5) 松本山雅FC
2008.10.12 at Hiratsuka Atheletic Stadium
2009年09月17日
【YAMAGA PLAY BACK 12】
粘りのPK勝利
2006.9.17 松本山雅FC VS 同志社大学
120分の激闘。接戦の好ゲーム…と言いたいところだが、実際は緊迫した試合を審判の判定で荒れた試合にしてしまったというの感じ。激闘ではなく死闘になってしまった。
流れは守備から作る。
そんな言葉を使いたくなる前半戦。
最初10分のポゼッションは同志社。GKのフィードのプレッシャーをかけチャンスを作ったり、サイドに起点をつくり流れを呼び込む。
しかしながら得点にならないと徐々に山雅ペースに。奈良、白尾を中心にチャンスをつくり、ようやく石堂の先制ゴール…と思いきや、プッシングの判定。
そうしてチャンスを活かせないうちに同志社カウンター一閃。0−1。ギリギリのところで耐えてきた守備で流れを呼び込む。前半終了。
後半開始5分。奈良のシュートのこぼれだまを白尾が押し込み同点…と思いきや今度はオフサイド。
実はオフサイドのように見えたので副審が旗をあげる瞬間を見ていた。仕方しなし。とも思ったのだが動画で見るとかなりかなり微妙。戻りきっているようにも見える。
そもそも競り合いの中だったので、同志社の選手の足にあたっているようにも見える。
2度の取り消しでホームの会場は騒然。ゴール裏は怒号。
しかし怒りをプレーで見返した奈良、白尾はさすがの一言。
オフサイドにならないタイミングのスルーパスに、相手の取れない位置へのトラップで勝負あり。白尾ゴールで1−1。
ホームの会場が盛り上がり、攻勢をかける山雅。
ここに思わぬ落とし穴。土橋一発レッド。
プレー自体は「フィフティーのボール」(by倉敷保雄)に競り合いに行って交錯。若干遅れた土橋。これが一発レッド。紙の色にのけぞる土橋。そういえば金沢戦のときも紙の色を見てびっくりしていたっけ。不運の男。そして荒れ試合決定。
石堂OUT、深江弟IN。
白尾をワントップにしてロングボールでこの状況を打開しようとする。高さもなくなったので、セットプレーもピンチになる。耐える時間が続く。ここで思わぬ展開。
同志社11番、イエローで退場。途中出場の11番、わずか2分で黄色2枚。
んな、アホなである。
突然の出来事で喜んだものの、メインスタンドも突然のプレゼントに反応が鈍かった。つまりそれほどひどいプレーではなかったわけだ。
あとは10人対10人での試合運びの探り合い。体力に勝る同志社有利の展開のまま、90分終了。延長戦へ。
延長後半2分。セットプレーで同志社追加点。ファーサイドに走りこむ選手に合わせる綺麗なゴール。三本振り切られる。
体力的にきつい山雅にとっては痛い1点と思ったが、その5分後、李のアーリークロスを深江が落とし小澤のシュート。2−2。
あとはしっかりつなぐ同志社にクリアが多くなる山雅。そのボールに競りたい白尾、奈良の足が止まり攻めてが少なくなる。守備陣はセットプレーと相手の攻撃を耐え、2−2のまま終了。PK戦へ。同志社先攻。
同志社成功のあと、山雅一人目白尾が失敗………………………………………
ところが審判がGKが早く(前に?)動いたとしてやり直し。同じコースに蹴り込みラッキーの山雅。
というかPK戦まで荒らすなよ!
結局4本目に外した同志社が5人目もセーブされ山雅PK勝ち。札幌への切符を手に入れた。
それにしてもPK戦のゴール裏はすごかった。メインにいたホームのサポーターのみならず、バックスタンドに陣取った同志社学生隊も含め、500人前後の人がPK戦を注目。
これほどの人数が勝敗にこだわって見守るというのは、Jリーグチームのある地域以外では異例ではないか。
歓喜と怒声と涙が混じったゴール裏。ちょっと異様だが、でも熱い光景だ。
このサポーターを気持ちを持ち、札幌に向かった山雅イレブン。2回戦は新日鐵大分に敗れたものの、この日から天皇杯は松本山雅FCにとって相性のいい大会になった。
第86回 天皇杯全日本サッカー選手権大会1回戦
松本山雅FC 2-2 (PK4-3) 同志社大学
2009.9.17 at Alwin
2009年08月29日
【YAMAGA PLAY BACK 11】
辛島山雅の最高傑作
2006.9.3 松本山雅FC VS 長野エルザSC
天皇杯予選を兼ねた第11回の長野県サッカー選手権大会。
北信越1部リーグに昇格したその年に、松本山雅FCは久しぶりに天皇杯予選の決勝の舞台に立った。
相手は長野エルザSC(現・AC長野パルセイロ)。
2004年に天皇杯に初出場するも、アルウィン開催の1回戦でホンダロックに敗戦。
これだけの実績を残しながら、優勝がこれ一度のみという不思議と天皇杯に縁がない。
そしてこの年は、松本山雅が南長野でのアウェイ開幕戦で2-0とエルザに完勝。
続くアルウィンでの雨中のダービーも、エルザから移籍してきた石堂のアシストで白尾が決勝ゴールと2連勝。
エルザ相手に悪いイメージはなかったはず。
そうはいってもリーグでも競っている両チーム。
試合は緊迫したロースコアのゲームになると思われた。
前半はお互いの様子を探りながらの攻防。
山雅DFのミスから先制したエルザだったが、崩したうえでの得点ではなかった。
山雅も前半のうちに、白尾が角度のないところから強引にシュート。
コースはなかったが、GKにあたったボールは枠内に吸い込まれた。
ストライカーとしての面目躍如のゴールだった。
1-1のハーフタイム。やはり緊迫した戦いが行われると感じていた。
しかし後半様相は一変する。
後半開始直後、右45度から小澤が逆サイドのサイドネットへグランダーシュートを叩き込む。
後半の立ち上がりという取った時間のよかった。
エルザDFはどうも小澤、奈良というシャドーストライカーのように配置された二人を掴まえきれない。
中盤でのボールを支配した山雅は面白いように、この二人が躍動する。
今思えばパサータイプの小澤、ドリブラータイプの奈良に、スピードが持ち味の白尾という絶妙な組み合わせのスリートップだった。
そして辛島監督のこと。おそらくエルザに対して抑えるべきポイントなどを相当シミュレーションしたに違いない。
事実、試合途中からほとんどエルザにチャンスを作らせず、中盤を支配した後は面白いように攻める。
後半中ごろには、ロングボールを受けた奈良が中にドリブルしてからシュート。まったくGKが反応できず。
そして5分も経たないうちにDFと競り合ってこぼれたボールを白尾が押し込み4点目。
最後は集中が切れたところを、セットプレーからのクイックリスタートで小澤が押し込み、まさかの5得点。
完全に気持ちのきれたエルザGKの姿が印象的だった。
これで2度目の天皇杯出場。
この年以降4年連続の県代表決定戦進出、県勢初の3回戦にJ2撃破。2006年以降天皇杯は相性のいい大会となった。
それにしてもこれほどハマった試合もなかなか記憶にない。
GKの弱点と踏んだのであろうか、シュートは徹底してグランダーだった気がする。指示があったかはわからないが、低いボールに難アリと踏んでいたのではないか。
またDFも前半の30分以降は安心して見られる試合だった。
山雅が2006年に北信越1部に昇格して以降、5得点という試合はこれのみ、2007年アウェーダービーの3-0の試合こそあれ、基本的に1点差ゲームがほとんど。
そんな中、カップ戦決勝という舞台で、対戦相手の対策を練り内容、スコアとも完勝したこの日の山雅は、辛島体制の最高傑作と言っていいだろう。
第11回 長野県サッカー選手権大会(天皇杯予選) 決勝
松本山雅FC 5-1 長野エルザSC
2006.9.3 at Alwin(3,145人)
2009年08月13日
【YAMAGA PLAY BACK 10】
全社北信越を制す
2007.8.19 松本山雅FC VS JAPANサッカーカレッジ
この年、アルウィンで行われた全国社会人北信越大会。
長野県代表となった松本山雅FCは開催県枠として準決勝からの出場となった。
前日にサウルコス福井を破り全国大会への出場権を確保した山雅と、同じく出場権を確保したJAPANサッカーカレッジ(以下JSC)。
ともに優勝がかかった試合とはいえ出場権を確保しているため、モチベーション的には難しい試合となった。
スタメンにもそれは表れ、辛島監督は登録期限の問題で地域決勝大会の出場資格のない松下晋也(現ツエーゲン金沢)を起用するなど、前日とは大幅にメンバーを入れ替えて臨んだ。
試合は山雅が前半に今井のゴールで先制。
試合はそのまま逃げ切るかと思ったが、終了間際にJSCに同点に追いつかれる展開。
しかし途中白尾を投入するなど、展開もあったろうが勝利を奪う姿勢を見せる。
そして延長前半に白尾が勝ち越しゴールを決める。
さらにこの日運動量で出色の出来を見せた中村隼人がダメ押しゴール。
ゴールを決めてそのままメインポスト際まで走りながら、薬指にキスをするパフォーマンスは印象的だった。
試合の展開があったとはいえ、貪欲に勝利を目指した効果は後々大きな成果を生む。
まずは苦手と言われていたJSCに勝利したことは、消化試合とも取れる試合とはいえ大きかった。
延長で競った試合を経験したことも大きかった。
実際この約一ケ月後、先制されながらも逆転するしぶとさを見せ、リーグ優勝をものにする。
1年後も全社全国大会3回戦において、JSCにしぶとく逆転勝ちする。
JSCへの負のイメージを少しでも払拭しただけでも、この消化試合は大きかった。
松本山雅FCと改称してからは初の北信越制覇。
確実に勝負強さを見に着けた一戦だった。
第43回 全国社会人北信越大会 決勝
松本山雅FC 3-1 JAPANサッカーカレッジ
2007.8.19 at Alwin
2009年07月24日
【YAMAGA PLAY BACK 9】
二度目の戴冠
2007.9.9 松本山雅FC VS JAPANサッカーカレッジ
地震の影響で約1ヶ月半もの延期となった2007年の北信越リーグ最終節。
松本山雅FCはホーム最終戦でツエーゲン金沢を下し、首位で最終節へ。
このJSC戦に勝つのはもちろん引き分けでも優勝が決まる試合となった。
大一番とあってバスツアー2台、会社ツアーバス1台に自家用車組。合計で300人前後の山雅サポーターが訪れるほぼホームゲーム状態。やりなれない人工芝での試合だけがいつもと違った。
試合は完全なJSCペース。サイドを制し、完全に試合を制圧。
山雅はマイボールになっても前線に通らない。片山(現FC岐阜)のワントップもシーズンが進むにつれ研究され機能していなかった。
左サイドのからの折り返しをJSC選手が左足の先に当てるアクロバチックなシュートでJSC先制。そしてそのままハーフタイムへ。
はっきりいって前半の終わった段階ではまったく勝つ気がしなかった。
孤立する前線。そして効果的なJSCの攻撃。
あまりの展開に前半終わった段階では完全に覚悟していた。
後半もさして変わり映えのしない展開。
ところが選手交代から徐々に流れが変わる。
竹内優OUT、白尾秀人IN。
白尾が入って徐々に守備の面々が落ち着きだしたのか、スペースへ狙うロングボールが効果的になる。
そしてそれを意識しながらプレッシャーをかけることで徐々にペースを取り戻す。
しかし得点を奪えず徐々に時間が過ぎる。ところが不思議とハーフタイムに感じていた絶望感は消えていた。
そして後半40分。
ゴール前の混戦から白尾がJSCゴールをこじあける。1-1。
アウェー側の応援席から歓声があがる。
余韻が冷めやらぬまま、左サイドから折り返したボールをこれまた途中交代の尾林が冷静に流し込む。
采配ズバリ。
引き分けでも十分な山雅このまま無理はしない。
この後なぜか試合がおかしな方向へ。
自陣ペナルティエリアの攻防で、矢畑が引っ張ったと判定されイエロー。さらに異議申し立てで続けざまにイエローで退場。
実は私は試合が終わるまで知らなかった。
さらにそのPKをJSCが決めたあと、キックオフをボールを後ろに蹴り遅延行為でイエロー。すでに1枚もらっていた片山が退場。続けざまの退場で不穏な空気が流れる。
しかしながらすでにロスタイム。
やや長いと感じたロスタイムを終え、引き分けのままタイプアップ。
ここに松本山雅FCの二度目の優勝が決まった。
あきらかに白尾投入から流れが変わった。しかしながら、プレシーズンを通して、何度か片山と白尾の共存をテストしたこと、さらに白尾が本人が思う以上にスーパーサブに適していたことなど、いくつかの要因があった。
そしてそれをゴールという形に結びつけた白尾本人、試合2アシストの片山と役割をきちっっと果たせばおのずと結果がついてくる。
そんな試合だった。
第33回 北信越フットボールリーグ1部 第14節
JAPANサッカーカレッジ 2-2 松本山雅FC
2007.9.9 at Japan Soccer College Ground
2009年07月03日
【YAMAGA PLAY BACK 8】
ディーノ、ディーノ
2006.5.7 松本山雅FC VS JAPANサッカーカレッジ
「ただいまの得点は、松本山雅FC 大野恭稔選手の得点でした!」
普通なら何ら不思議はない得点コールがアルウィンのスタジアムに響き渡った。
ただこのコールが少し変わっていたのは、スコアラーのポジションがゴールキーパーだったことである。
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この日のアルウィンは「風のアルウィン」の異名どおり、強風に見舞われた。
前半は風上のJSCがゲームを支配した。
しかもなぜか強風のたびにナイーブな試合をする伝統が山雅にはあった。
スコアレスのまま迎えた後半。ややJSCペースかという展開。前半と変わらなかった展開がいきなり動く。本当にいきなり。
相手キーパーからのフィードが山雅のDFへ。それをそのままGKの大野へバックパス。
大野はそのボールを前線へ大きくフィード。
しかし風に乗ったボールは山雅の選手を大きく越えて、相手GKへ渡る……ように見えた。
風に乗ったボールが大野にとって狙いとは違う軌道を描いたように、相手のGKにも想像と違う動きになったようだ。
ペナルティエリアの入り口付近で跳ねたボールは、バウンドしたあとも風に乗りGKの頭を越えてJSCゴールに吸い込まれた。
GKの得点を映像では見たことがあるが、さすがにリアルタイムでは初。ゴールキーパーに味方選手が駆け寄る姿は何か不思議だった。
思わぬ形で先制した松本山雅FCは、その後もJSCにボールを支配されるもゴールは割らせなかった。
このまま1-0の勝利が見えていたロスタイム、JSCにフリーキックが与えられた。
ゴールにふわりとあがったキックを大野はパンチングにいった。
しかし今度は風に戻され自分の目測よりだいぶ手前にボールがあった。
パンチングできなかったボールは、ゴール中央の混戦にそのまま流れ、山雅の選手にあたったボールはそのままゴールに吸い込まれた。
1-1。この数プレー後、終了の笛がなった。
風に振り回された両GK。大野にしてみれば天国から地獄に落ちる気分だったかもしれない。
この年の優勝はJSC。準優勝は松本山雅で勝ち点差は1。
印象的なゴールとともにターニングポイントなった一戦だった。
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その大野恭稔が11人制のサッカーを引退を表明した。
これからはフットサルに転校。Fリーグ入りを目指す。
レギュラーを獲得していた中での挑戦。かなり勇気のいる決断だったと思う。
これからの活躍を期待しています。
ココロの地図 ~ DINOブログ ~
第32回 北信越フットボールリーグ1部 第5節
松本山雅FC 1-1 JAPANサッカーカレッジ
2009.5.24 at Alwin(1,280人)
2009年04月02日
【YAMAGA PLAY BACK 7】
初のアウェーバスツアー
2006.4.23 ツエーゲン金沢VS松本山雅FC
初のアウェーバスツアーは緊張感にあふれていた。
もちろん初めての試みという緊張感はもちろんあるのだが、何せ対戦相手はリーグ開幕前に大本命にあげられていたツエーゲン金沢。
しかも前評判だけでなく、1節、2節とも7-0で勝利。対戦相手が格下とはいえ圧倒的な差を見せつけていた。
しかし緊張感はいい方向に転じていたようで、津幡に乗り込むUMは会場の雰囲気を自分色に染めようといろいろな試みをしていた。
唄いながら競技場に乗り込んだり、果ては秘密の横断幕を用意していたりと。
一方の金沢は緊張感はあまりなかった。
2戦連続の大勝に昨年2部から上がってきたチーム。長野エルザを倒したとはいえ、負ける要素はないと考えていたのか、会場に張り詰めたものは感じられなかった。
この雰囲気はピッチにも反映される。
7-0の大勝を続けたツエーゲンにとって、緊迫した試合展開はシーズン初めてだった。
相手は昨年度優勝チームと開幕戦であたった松本山雅FC。
緊迫した試合の経験の有無が勝負に微妙なアヤをつける。
なかなか攻めきれないツエーゲンは徐々にペースを失う。
山雅は矢畑、三本菅に新加入の川上というタワーを加えた魅力的な3バックで戦っていた。
空中戦に強いうえにカバーリングに優れた矢畑の組み合わせは隙を見せない。
守りからリズムを作った山雅にチャンスが訪れる。
奈良からのスルーパスに抜け出したのは深江晃好。
あまりのどフリーに一瞬驚いた表情を見せたがゴールに流し込む。
いい当たりのシュートではなかったが、先制ゴール。
ちなみに後で本人に聞いたが、あまりのフリーにオフサイドかと思ったらしい。
蹴り損なった感じは、本当に驚いた様子が窺えた。
さらに会場を煽るような横断幕の登場で会場はヒートアップ?
しかし急にギアは変わらない。
試合前に緊張感が薄かった金沢は、攻撃にシフトするが冷静に対応した山雅DFの前にスコアレス。
大本命とみられていた金沢は3戦目にして黒星。
これがきっかけではないだろうが、金沢は波に乗り切れず、3敗目を喫したの5月21日には、ほぼ優勝が不可能になった。しかも3敗すべてが1-0。
この試合が金沢転落の序章だったことは間違いない。
一方緊張感に満ちた試合を終えたバスの中は充実感とともに疲労感もいっぱいだったのか、道中はまったりしている時間が長かった。
ちなみにバスツアーも参加が2回目以降になると休むポイントでも心得るのか、バスツアーなりの時間の使い方を覚えてくるから不思議。
初のアウェーバスツアーは、勝利を味わったこともあり、充実した内容であった。
最大の難敵を乗り切った松本山雅FCは、前半戦を無敗のまま首位ターン。
順風満帆の航海となっていた。
第32回 北信越フットボールリーグ1部 第3節
ツエーゲン金沢 0-1 松本山雅FC
2006.4.23 at Tsubata Park Stadium