2008年11月21日
【YAMAGA PLAY BACK 6】
挑戦者たち
2006.4.9 長野エルザSC VS 松本山雅FC
北信越リーグでは前年度1位のチームと8位(に相当する)チームが開幕戦であたるのが通例となっている。
前年度1部7位チームが残留のため、2005年に2部で優勝した松本山雅FCは8位相当の扱いになり、開幕戦で前年度優勝の長野エルザと対戦することになった。
1部と2部の優勝チームの対戦、さらにJ標榜したチーム同士、そして何より県内チームの対戦となり俄然注目を集めた。
それまで「信州ダービー」と言っても、長野サイドはそれほどこだわった様子がなかった。むしろ上田ジェンシャンとの対戦のほうが「信州ダービー」と呼ぶにふさわしいとする雰囲気さえあった。
しかしこの試合を境に、真の「ダービーマッチ」を感じさせるカードとなる。
そもそも上田と長野はダービーというほど、対抗心を打ち出すカードではなかったのだが。
試合は「チャレンジャー」たる松本山雅FCの気迫が、受けてしまった長野を制した試合といえるだろう。
前半23分に李峰日(リ・ボンイル、松本市出身、現静岡FC)の華麗なミドルシュートで先制すると、ストライカーとしてシーズンを通して活躍した白尾の追加点で2-0で松本山雅FCが勝利した。
長野は受けてしまったと書いたが、気持ちの問題のほかにもピーキングの問題もあっただろう。
山雅は開幕戦のあとにフェルヴォ石川、ツエーゲン金沢、JSCと開幕から強豪とあたる対戦順だった。
優勝のためには落とせない試合が多く、必然的に開幕前後にピークを持ってくる必要があった。
長野は5〜7に強豪相手の対戦を控え、開幕にピークを持ってくるのは難しかったのであろう。
3強に迫ると思われていた山雅が、3強に匹敵する実力があると見せ付けた試合となった。
さらにこの試合から一月もしないうちに、シーズン途中という状況で長野エルザから石堂和人(現・FC町田ゼルビア)が山雅に加入。因縁の要素を増やし、信州ダービーは今後も熱い戦いが繰る広げられる。
第32回 北信越フットボールリーグ1部 第1節
長野エルザSC 0-2 松本山雅FC
2006.4.9 at South Nagano Athletic Park
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2008年11月21日
【YAMAGA PLAY BACK 5】
値千金のPK
2005.7.3 松本山雅FC VS FC金津
2005年の山雅は、松本山雅FCに正式名称を変更し、監督に元ガンバ大阪の辛島啓珠氏を招聘。さらにセレクションを行うなど精力的に強化を行った。
しかし北信越リーグ2部での戦いは、周囲の期待からは程遠い出来だった。
10チームで行われたため、9節の時点で上位5チームと下位5チームに分かれ、順位決定リーグをさらに4試合戦うことになっていた。
その下位5チームに足を入れかけていたのである。
このFC金津戦に負ければ下位リーグへ。その時点で1部昇格の目がなくなることになる。
2005年は筆者が見た限り、上位6チームと下位4チームに差があった。
したがって1チームだけ貧乏くじを引き、同等の力を持ちながら、そのチームだけ下位チームでの戦いを余儀なくなれる。
現にFC金津は下位リーグを4連勝。勝ち点は2位チームと同じ勝ち点ながら公式記録上での順位は6位になっている。
山雅にもこうなる可能性があったのだ。
試合は1点リードされたまま後半ロスタイム。
あきらめかけたときに山雅にPKが与えられた。
キッカーは小澤修一。
PKスポットから蹴られたボールはキーパーの手をはじき、かろうじてゴール右隅に吸い込まれた。
この得点で同点とした松本山雅FCは上位リーグに入り、優勝への可能性を残したのだ。
さて話は変わるが、小澤修一はPKが苦手なのだろうか?
2008年の天皇杯3回戦の湘南戦後、最後のキッカーだった小澤は自身のブログで「PKの呪縛」という言葉を使っていいイメージを持っていないように書いている。
しかし実際平塚でPK戦を見ていて、背番号8を見た瞬間に勝ちを確信した。
2005年のあの状況での「○○○万円のPK」と言われたPKから比べれば、湘南戦のPKはなんでもないPKであろう。
外しても負けが決まるわけでもなく、決めればおいしい場面。
2007年の天皇杯の県代表決定戦で外しているが、あれは周囲が騒然がおさまらない段階で、かなり同情の余地があるケース。
そう考えると、小澤修一はたぶんPKは得意なんだと思う。
明後日始まる第32回地域リーグ決勝大会でPKを蹴る試合があるかもしれない。
そのとき背番号8がきちっと決めて勝ち点2を奪ってきそうな気がしている。
まあ90分勝ちが一番いいのだけれど。
話を2005年に戻そう。
上位リーグ開始後、カップ戦などのサマーブレイクの際にも、松本山雅FCは強化を行った。
元甲府の神田文之、元浦和の三本菅崇を加入させた山雅は、もはや2部のチームの相手ではなかった。
きちっと4連勝。2部優勝を決めて来期の1部リーグ入りが決まった。
この年1部優勝を果たした長野エルザだったが、地域リーグ決勝大会の予選ラウンドをあがれず敗退。
2006年からは長野との信州ダービーが実現できるようになった。
そしてその最初の対戦は、開幕戦という舞台に設定された。
第31回 北信越フットボールリーグ2部 第9節
松本山雅FC 3-3 FC金津
2005.7.3 at Alwin Sub Ground 続きを読む
2008年11月19日
【YAMAGA PLAY BACK 4】
スーパーカブ登場
2004.10.31 山雅SC VS PFU
県リーグ降格の危機に直面した山雅SCは、残り試合が少ない中、選手補強を行った。
元Jリーガーが加入するという噂だったが、その名を正式に聞いていささか驚いた記憶がある。
元JリーガーといってもJ2で出場機会がなかったような選手を想像していたのだ。
鏑木享。元FC東京、アルビレックス新潟。
スーパーカブの愛称で親しまれたFWだ。
残り数試合という状況で加入した鏑木。
元Jリーガーということもあり、かなり注目を集めた。
しかしFWというポジションということで仕方ないが、この補強はすぐに効果がでなかった。
そのFWに効果的にパスが出なければ怖さは少ない。
戻ってボールをもらえばゴールまでの距離が遠い。
攻撃はシーズン当初に比べ、格段よくなったが得点という形につながらなかった。
実際に効果があった補強はもう一人の元Jリーガーだった。
なぜか名を伏す人が多いので、ここでもA選手としておこう。
DFの彼は就職が決まっており、この数試合でサッカーを中心とした生活を終わりになる。
そんな思いをぶつけたわけではないだろうか、彼の入ったディフェンスラインは緊張感に満ち溢れていた。
激しく指示を飛ばす姿はいままでの山雅にはなく、守備の格を得た山雅SCはリーグ最終戦を無失点で乗り切った。
なんとか6位で乗り切った山雅SC。残留を果たしオフシーズンに大きく動く。
年明けに辛島啓珠監督の就任を発表。選手を大幅に入れ替え2005年にシーズンに挑んだ。
なお、この年発生した新潟県中越地震の影響を考慮し、下位2チームだったPFU、ならびにFCビルボードが救済措置により、翌年も北信越2部リーグで戦うことになった。
10チームになるため、2003年シーズンと同じく1回戦総当りのあと、順位決定リーグを行うこととなった。
上位5チーム、下位5チームに分かれて行う順位決定リーグ。
この上位5チームに入るため、再び綱渡りのような戦いが繰り広げられる。
第30回 北信越フットボールリーグ2部 第14節
山雅SC 1-0 PFU
2004.10.31 at Alwin Sub Ground
2008年11月15日
【YAMAGA PLAY BACK 3】
リアルダービーの息吹
2004.8.7 長野エルザ VS 山雅SC
長野エルザ(現・AC長野パルセイロ)のイメージはどうしても三洋電機なのだ。
神戸製鋼のV7の時代に、名勝負を繰り広げたライバルの三洋電機ラグビー部のことである。
「縦のランニングラグビー」の言われた、力強くそしてシンプルなそのラグビーは、うまさや華麗さは感じられなくても、手ごわかった。
長野エルザというチームに抱いていた印象がこれにダブる。
決しては派手なことはしないが、フィジカルが強くシンプルに前に来るスタイルは、手堅くそして強かった。
このスタイルを保ち、北信越リーグの上位争いに絡んでいた長野エルザは県選手権でも優勝候補の筆頭だった。
対する山雅SCは2部リーグでも下位に低迷。県リーグ降格さえ危ぶまれていた。
決定機をなかなか決められないどころか、試合開始直後と試合終了間際に失点を繰り返し、浮上のきっかけを掴めないまま夏場を迎えていた。
この両者が対戦した長野県選手権準決勝。
3年前からスタートしたアルウィンナイターの準決勝。
チーム状態に差がある状態での対戦だったが、このときすでに「リアルダービー」の息吹は出ていた。
一番は山雅サポーター「ULTRAS MATSUMOTO」(以後、このblog内ではUM)が明確な対抗意識を打ち出しただったと思う。
それまでもエルザとの対戦は何度もあった。しかしそれまでの対戦ではあまりライバル意識やダービー意識というものは薄かったように思う。その前に審判と戦う必要があったという側面もあるのだが…。
しかしこの年は違った。
2部に所属し完全に挑戦者の立場であったこと。地元松本で迎え撃つこと。
カップ戦という舞台に年に一度のナイターの舞台。
着実に増えつつあったサポーターもダービーの雰囲気を助長した。
記憶に間違えがなければ、初代の「ULTRAS MATSUMOTO」横断幕が作成され、お目見えしたのがこの試合である。
はっきりと目に見える形での思いはピッチにも伝わったのかもしれない。
試合は開始と同時に山雅がトップギアに入れる。
気迫と運動量で互角の戦いに持ち込み、先制点ももぎ取った。
左45度からのミドルシュートがきれいにゴールに突き刺さった。得点者がだれだか記憶にないのだが(宮田?)、ベンチの喜びようを見ても気合が伝わってきた。
たださすがにいきなりのトップギアは燃料切れを招いた。
徐々に試合を支配され、フィジカルとシンプルなプレーで得点を重ねられ4失点。
チーム状態の差は埋められなかった。
しかし敗れはしたものの、山雅の選手もUMも目指すべきものをしっかり捉えた一戦だったのではないだろうか。
明確に長野というターゲットを認識し、県内でそして北信越で一番になるためにやらなければならないことを感じた夜だったであろう。
この後チームは残留のため、東城以来となる元Jリーガーを加入させる。
上を目指した動きが見え始めていた時期だった。
そして長野対松本は、翌年の県選手権準決勝での再戦、1部復帰後の開幕戦、さらには石堂和人(現・FC町田ゼルビア)の移籍など、数々の因縁とともに「信州ダービー」は全国的にも有名な「リアルダービー」へと変遷していく。
第9回長野県サッカー選手権大会(天皇杯予選) 準決勝
長野エルザ 4-1 山雅SC
2004.8.7 at Alwin
2008年11月12日
【YAMAGA PLAY BACK 2】
2部リーグヘ
2003.10.12 新潟蹴友会 VS 山雅SC
場所はJAPANサッカーカレッジグラウンド。
後に鬼門となり幾たびの死闘を繰り広げたグラウンドだが、相手は新潟蹴友会(翌年、トップ新潟に改称、現グランセナ新潟)。
JAPANサッカーカレッジグラウンドに訪れた山雅サポーターは5人。こちらもまだ芽が出始めた段階の頃だ。
次年度からの2部制の移行を控えた北信越リーグは、順位決定リーグの試合を戦っていた。10チーム中6チームは優勝を賭けた上位リーグを、4チームは2部降格を決める下位リーグを戦っていた。
下位リーグは松任オレンジモンキー(現・フェルヴォローザ石川・白山FC)、日精樹脂工業、山雅SC、新潟蹴友会の4チーム。このうちオレンジモンキーは勝ち点で日精樹脂工業以下を引き離し、下位リーグが始まる前にすでに残留が濃厚な状態だった。したがって降格2チームを実質3チームで争っていた。
山雅と日精は勝ち点でならんでいたものの、得失点差が8あり、山雅は勝っても引き分けても日精樹脂工業の結果次第。負けると新潟にも順位を引っ繰り返されてしまう。勝って日精の結果を待ちたいところだった。
結果は1−1のドロー。どんな得点だったかどんな試合だったかも覚えていない。ただドローだったということのみ覚えている。
試合終了後日精樹脂対松任が引き分けに終わったことだけを、チーム関係者から伝えられた。2部行きが決定した瞬間だった。
松任は順位が確定し若手中心のメンバーでのぞみ、期待された結果はもたらされなかった。
当時では一番の長い距離を移動した遠征だった。
そのうえでの敗戦は相当堪えた記憶がある。
プロ化の動きが水面下で動きはじめるのが半年後。
新聞紙上をにぎわし、はっきりと「J」を目指す宣言をするのが、この約1年後である。
そしてこのJSCグランドの悪夢を払拭するのには、4年の歳月が必要だった。
第29回 北信越社会人サッカーリーグ 後期第3節
新潟蹴友会 1-1 山雅SC
2003.10.12 at JAPANサッカーカレッジ グラウンド
written at 2006.8.11
2008.11.12 加筆修正
2008年11月11日
【YAMAGA PLAY BACK 1】
危険察知
2003.9.28 山雅SC VS 日精樹脂工業
試合から数日たった今、あの状況で危険を察知するのは無理ではなかったか、と思っている。
日精樹脂工業対山雅SC。
来期より始まる2部制を控え、1部残留をかけた下位リーグ。4チームで争う下位リーグだが、石川のオレンジモンキーがほぼ残留決定の中、3チームの熾烈な争いになっている。勝ち点5で並ぶ両チームは勝てば、かなり残留の近づく試合である。
前半はたいした見せ場もなく、ただ単に点だけが入った印象が残った。どちらかが主導権を握ったようにも見えず、2対1。日精樹脂がリードして折り返す。いつもと違うシステムで望んだ山雅の、ディフェンスの連携のもたつきが気になった。試合の流れも大きく振れることもなく、僅差の試合で終わる雰囲気を感じていたのだが、後半試合は荒れた。
きっかけはPKだった。
日精のGKがFWを倒しPKを与えた。よくある光景ではあったが、一度外したPKにやり直しが命じられた。それほど大きな動きがあったようにも見えなかった。さらに日精ホームということを考えれば、あまりやり直しを命じられるケースには思えなかった。しかも徐々に不利な判定が多くなってきたと感じていた日精の選手がこのプレーでかなりの不満を持ったことは間違いない。
そしてそらに数分後、足の裏を見せたタックルということで日精選手が一発退場をくらう。試合後の選手の感想を聞いてみても、厳しい判定であった。これで完全に日精サイドは試合への集中がそがれた。
それでもまだ試合は完全に壊れていなかった。
さらに数分後、裏に抜けた山雅選手がGKを抜きにかかったところを止められる。完全なプロフェッショナルファウル。(逆サイドだったので本当にかかったのかはわからないが)
一枚イエローカードをもらっていたが、これも一発退場。イエローをもらった最初のPKよりも怒り方は小さかった。怒るというよりあきれた態度に見えた。二人の退場者、残留争い、微妙な判定に、一方だけに入ったサポーター。いろいろな要素がすべて絡んで、この瞬間試合は完全に壊れた。
そう、完全に壊れたからこそ、普段と同じように山雅の選手に危険を察知しろというのが無理だったのでないだろうか。
結局ドローに終わる試合の同点の場面は、11対9の人数にもかかわらずあきらかに奪われ方が悪かった。そして取られた後も誰もチェックにいかず、ズルズルDF下がっていく。数的優位という状況がチェックへ行かせなかったのだと思う。これまでの試合の流れで、この時に山雅の選手には正常の危険察知の感覚がなかった。サイドのクロスにボレーシュートという、チェックの甘かったDFを嘲笑うかのような華麗なシュートに同点に追いついた。
結果論になるが、たとえ退場者を出してもこの場面はプレーを切るべきだった。たとえ一人いなくなっても数的優位な状況に変わりはない。一人でもこの場面だけは止めなくてはという選手がいたら、おそらく逃げ切れただろう。
その後人数の多い山雅はチャンスはつくるもののゴールに結びつかない。緩みかけた意識を攻撃にうつそうとはするが、あまりのふり幅の大きさに空回りになっている。積極的ではなくあせっているという言葉のほうが適切な攻撃だった。
勝ち点差で並ぶ両者の対決は、得失点で優位にたつ追いついた日精にとってややよしの結末となった。
第29回 北信越社会人サッカーリーグ 後期第2節
日精樹脂工業 3-3 山雅SC
2003.9.28 at Alwin
written at 2003.10.2