【YAMAGA PLAY BACK 14】

scrumhalf

2010年01月23日 21:57


不運の男
2007.7.1  AC長野パルセイロ VS 松本山雅FC


正直に告白しよう。
僕は小田竜也という選手が大好きだ。

レッドカードをもらって山雅に貢献したとかそういう意味ではなく、純粋にプレーヤーとして評価していた。

今でこそ珍しくないのかもしれないが、3年ほど前に複数のポジションをかなりのレベルでこなせる選手は、北信越リーグにはほとんどいなかった。
他に思い浮かんだのは、三本菅崇くらいだ。

予算も限られている地域リーグで思うような編成ができないのは、当然のこと。そんな中にあって、ユーティリティなプレーヤーは貴重である。

そんな選手なのに、カードコレクターのような印象のきっかけになったあの試合を思い出すと、どうしても不運な男だと思ってしまう。

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前節、選手給与未払いなどえ経営危機が伝えられるフェルヴォローザ石川・白山FC(現ゴールズFC)に不覚をとり、自力優勝が消滅した松本山雅FC。しかし上位4チームの星の潰し合いが始まることを考えると一つずつ勝っていけば優勝の可能性が高まる。それは対戦相手のAC長野パルセイロも同じ。お互い生き残りを賭けた信州ダービーだった。

負けられない緊張の中、一進一退の展開が続く。
そして最初の不運は前半終了5分前に。

山雅陣内でボールがルーズになる。倉敷保雄風に言えば「フィフティのボール」に小田はスライディングでボールに働きかけた。山雅側は斎藤智閣がボールを追う。次の瞬間二人は交錯する。
僕には流れの中のプレーに見えた。たしかに斎藤の足に小田の足が掛かったがスライディングした以上、急には止まれない。体を入れようとしたのだろうか、僕には斎藤がぶつかっていたように見えた。

しかし、かなりの激しいぶつかり方。山雅のベンチ前だったこともあって騒然となり小田にイエローカードが提示された。
何度も言うが流れの中のプレー、しかも斎藤がぶつかりにいったように見えたので、このカードは厳しいように感じた。そしてこのカードが小田悲劇の序章だった。
余談になるが、かなり激しいぶつかり方でピッチに倒れたものの、数分後に斎藤は平然とプレー。斎藤の頑丈さを再認識した。

そしてさらなる不運は後半早々。

開始2分。ゴールエリアに侵入した山雅の竹内に後ろからチェックにいく小田。そして竹内が倒れ、笛が鳴らされた。
全然激しい当たりではなかった。しかし後ろからチェックにいったことを重くみたのか、PKの判定の上に小田に2枚目のイエローカードが提示され退場。
このPKを土橋が決めて山雅が先制。待望の先制点のうえに数的不利になったこの試合はこれ以降一方的山雅ペースになった。

今でもYou Tubeなどで見れるのだが、とてもイエローはおろか、PKにさえならないような接触に見える。仮にPKだったとして、イエローは提示しなくてもいいのでは? というくらいのプレーだった。
あれ以来、山雅のサポーターはダーティーなプレーヤーなイメージがついたかもしれないが、僕には「不運の男」というイメージしかない。

一方的になった試合は、GKまで参加したセットプレーのカウンターから、無人のゴールに白尾が蹴りこむというオチまでついて山雅が3-0の完勝。
同日、首位のJAPANサッカーカレッジが敗れ、自力優勝が復活。このまま北信越リーグを制した。

小田はこれ以後もパルセイロの主力として活躍する。
佐藤大典のケガの際にはFWまでつとめ、さらにユーティリティな才能を発揮。
しかし、2008年のリーグチャンピオンとして望んだ地域リーグ決勝大会の予選ラウンド最終日。バンディオンセ加古川を相手に小田は退場。試合も逆転負けを喫し、決勝ラウンド目前にして3位に転落した。

彼は随所にいいプレーを見せながら最後まで不運な男だった。
あのダービーの不運がなければ、ここまで悲運のイメージがつかなかっただろうにといつも思う。

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小田竜也はAC長野パルセイロを退団。チームを上田ジェンシャンに移す。
冒頭に書いたが、好きなプレーヤーなのだ。だからまだ北信越で彼が見れることを実は喜んでいる。

2006年、雨のアルウィンでの信州ダービーで爆発的なスピードで右サイドを駆け上がり同点ゴールを決めたあのシーンは鮮明に覚えている。
あれが小田を印象付けたきっかけなのだ。

今はニュートラルな立場で彼を見れる。
今年の北信越リーグ、いろいろな意味ですごい楽しみなのだ。

第33回 北信越フットボールリーグ1部 第12節
長野エルザSC 0-3 松本山雅FC
2007.7.1 at South Nagano Athletic Park

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