【YAMAGA PLAY BACK 2】
2部リーグヘ
2003.10.12 新潟蹴友会 VS 山雅SC
場所はJAPANサッカーカレッジグラウンド。
後に鬼門となり幾たびの死闘を繰り広げたグラウンドだが、相手は新潟蹴友会(翌年、トップ新潟に改称、現グランセナ新潟)。
JAPANサッカーカレッジグラウンドに訪れた山雅サポーターは5人。こちらもまだ芽が出始めた段階の頃だ。
次年度からの2部制の移行を控えた北信越リーグは、順位決定リーグの試合を戦っていた。10チーム中6チームは優勝を賭けた上位リーグを、4チームは2部降格を決める下位リーグを戦っていた。
下位リーグは松任オレンジモンキー(現・フェルヴォローザ石川・白山FC)、日精樹脂工業、山雅SC、新潟蹴友会の4チーム。このうちオレンジモンキーは勝ち点で日精樹脂工業以下を引き離し、下位リーグが始まる前にすでに残留が濃厚な状態だった。したがって降格2チームを実質3チームで争っていた。
山雅と日精は勝ち点でならんでいたものの、得失点差が8あり、山雅は勝っても引き分けても日精樹脂工業の結果次第。負けると新潟にも順位を引っ繰り返されてしまう。勝って日精の結果を待ちたいところだった。
結果は1−1のドロー。どんな得点だったかどんな試合だったかも覚えていない。ただドローだったということのみ覚えている。
試合終了後日精樹脂対松任が引き分けに終わったことだけを、チーム関係者から伝えられた。2部行きが決定した瞬間だった。
松任は順位が確定し若手中心のメンバーでのぞみ、期待された結果はもたらされなかった。
当時では一番の長い距離を移動した遠征だった。
そのうえでの敗戦は相当堪えた記憶がある。
プロ化の動きが水面下で動きはじめるのが半年後。
新聞紙上をにぎわし、はっきりと「J」を目指す宣言をするのが、この約1年後である。
そしてこのJSCグランドの悪夢を払拭するのには、4年の歳月が必要だった。
第29回 北信越社会人サッカーリーグ 後期第3節
新潟蹴友会 1-1 山雅SC
2003.10.12 at JAPANサッカーカレッジ グラウンド
written at 2006.8.11
2008.11.12 加筆修正
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