大量点

scrumhalf

2007年03月01日 20:24

なんで日本のマスコミやサポーターは、格下相手のチームの対戦ではあんなに大量点を望むんだろうか。

対戦相手のスカウティングを十分に行ったうえで望むならいいのだろうが、ランキングなどで格下と判断して大量点を期待するのはいかがなものか。サポーターで香港の選手を見たひとなんてほとんどいないだろうし。
当日の選手のコンディション、天候などによって左右されるかもしれないし、とんどもなくひどい審判が来るかもしれない。

そもそもフットボールというものは、点が入りにくいようにできているものだ。オフサイドがあったり、ボールを後ろにしか投げられなかったり。
サッカーでは、もとより大量点を取るための練習なんて行っていない。どんなスポーツよりもたった1回の失点が重くのしかかる競技なのである。

したがって僕が大量点を望むのは試合が始まってから、3点差以上ついてから、時間によっては2点差ついてからである。実際に昨日の試合も2点目が入ってからの攻勢だった。
1点返されても追いつかれないという状況ができて、犯せるリスクの許容度が上がる。その状況にないまま大量点を望むのはあまり好きな雰囲気ではない。

大量点を望んだことによって、会場に醸し出される失望の空気というものは伝染すると思っている。松本の人間には去年のホーム開幕戦のフェルヴォ石川戦、残り2節となった上田ジェンシャン戦の停滞感は、大量点を望み開始早々の得点を期待しすぎた観客の影響も多分にあった気がする。
後半に4点、5点入る試合もある。試合前から大量点を望んだり、試合の前半の段階で失望したりするのはやめにしよう、といつも思うのだがいかがなものだろうか。

五輪の2次予選のように、進出が容易なレギュレーションで、きっちり勝ち点を積み重ねていけば進出できる試合で、これから先、強豪相手に通用しないような攻撃パターンで、かなりリスクを犯した状態の攻撃で点を積み重ねたとしても今後に意味をなさないはず。得失点差が生きてきそうな状況ならまだしも、昨日の試合で大量点を望んでも意味がない。攻撃パターンがよくなかったという批判ならいくらでもするべきだと思うが。

そういう意味で去年の北信越リーグ最終戦はレアケース。あの場合は大量点を望み、前半に停滞感がただよっても仕方がない。首位しか意味がないレギュレーションだから大多数の人が望んでもおかしくはない。
あのとき僕が「いつもどおりのサッカー」と主張したのは、失点もしてはいけない状況だと思ったから。1失点がミッションをさらに困難にすると思ったので。
だからいつものサッカーをして15分くらいで3−0だったら、本気で22点獲りにいけばいいと思った。相手の力量も肌でわかるだろうし、注意しなければいけない選手、攻撃パターンわかったうえなら、どのポジションがリスクを犯していいか、どのポジションが慎重を期したらいいかもわかるだろう。

僕がサッカーの試合前に大量点を期待するのは、相当なレアケースでもないかぎりないと思っていい。「なんでそんなに大量点を期待するの?」みたいな発言をするかもしれないが、基本的な理由は今日書いたとおり。
ただ試合中はわかりません。去年の上田at菅平みたいな大量点をみすみす逃すような采配をしたら、「なんで点を取れそうな試合にそんなことするんだ」と失望する。勝ち点の心配がなくなったら次は得失点差だろ、と心の中で(時には声を出して)叫ぶと思う。

昨日の五輪代表の中継をみながら、ずっとそんなことを考えていた。

関連記事