江幡翼の衝撃【アルウィン定点観測 4】

scrumhalf

2009年08月21日 23:54

アルウィン完成後、長野県天皇杯予選は準決勝を八月第1週の土日にやるのが恒例となった。(現在は第2週土曜日に南長野と同時開催)
その年に一度のアルウィンナイターをにぎわせたのは、県内では一番高いリーグ順位を持っていた長野エルザ(現・AC長野パルセイロ)でもなく、北信越リーグの古豪山雅クラブ(現・松本山雅FC)でもなかった。
ナイターをにぎわせたのは、塩尻を拠点に着実に力をつけていたアンテロープ塩尻、高校の強豪の松商学園、そして新興勢力である大原学園JaSRAサッカークラブだった。

大原学園はアルウィンが完成した2001年、2002年と連続して天皇杯長野県代表の座を獲得。
県内での強豪チームの仲間入りを果たす。そして、代表となった2年とも地元アルウィンで天皇杯1回戦を戦った。
ちなみに5年ぶりの出場となった2007年もアルウィン開催であった。

2001年の対戦相手は大学枠での出場となった駒澤大学。大学サッカーでは常に上位を保っている強豪。
試合も新興勢力である大原は駒澤に押され、前半途中までまったく見せ場がないまま2点を奪われた。

そんな中にあって大原学園の22番江幡翼は、切れ味鋭いドリブルで孤軍奮闘。駒澤大学のDFを慌てさせていた。
江幡は天皇杯予選の決勝でも、10番の金子信弥とともに大原の攻撃を牽引。
その試合を見た友人一同、江幡という名前を記憶に刻み込んだ。

前半40分に相手のミスから1点を返し、1点差とすると徐々に大原もペースを掴みはじめ、江幡の活躍場面も増えてくる。
そして後半に江幡のドリブル突破をファウルで止めた駒澤のDFにイエローカード。
すでに1枚カードをもらっていたDFは退場となり、さらに大原は攻めに転じる。

ちなみにこのDF。後に五輪代表の主力として活躍。Jリーグ新人王も獲得する那須大亮。
翌年には大学3年生ながら横浜F・マリノスと契約する成長株。
それを考えれば、好調時の江幡がどれだけ手をつけられないかがわかる。

しかしそこは新興チーム。チャンスを作るもゴールを割れず。
全体を通して押してはいるのだが、試合全体は駒澤強しという印象が消えないなんとも形容しがたい試合。
結局カウンターから駒澤大学に3点目を決められ万事休す。善戦はしたものの結果は残せなかった。

調べてみるとびっくりするのだが、那須しか印象に残っていない駒澤大学のメンバーだが、3点目を決めたのは深井正樹(現・ジェフユナイテッド千葉)。
この他にも、同じく鹿島に入団し千葉にたどりつく中後雅喜、千葉では出番に恵まれなかったがJ2徳島で活躍し現役を退いた金位漫、現大宮アルディージャの橋本早十、浦和入団の後京都で活躍した現愛媛FCの三上卓哉、さらにこの日はケガで出番はなかったがドイツW杯の日本代表の巻誠一郎がいた。
これだけのメンバーに対して相手の緩みがあったとはいえ、慌てさせるだけの試合をした大原ならびに江幡は、当時の筆者には衝撃的だった。

大原卒業後、長野県内の日精樹脂工業サッカー部に所属。
ここから数年間はJを目指す松本山雅やパルセイロに牙をむき、県内のサッカーシーンを賑わせる。
アルウィンの思い出に彼の名前は外せないのだ。

第81回 第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会 1回戦
大原学園JaSRAサッカークラブ 1-3 駒澤大学
2001.11.25 at Alwin(1874人)

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